ココロをいたわるブログ

言えないけど書きたい心の声

私のふるさとは、いつまで「被災地」と言われなくてはならないのだろう

すなぎもです、こんにちは。

 

震災から6年。あの時どこで誰とどうしていたか。

今も鮮明に思い出し、周りと話す機会がある人がたくさんいると思います。もちろん、つらいことを無理に思い出す必要はありませんが、その時間は、大切に受け継いでいきたいものですね。

そして、今日が誕生日の方、結婚記念日の方、おめでとうございます。

今日という日は365日の1日でしかありません。3月11日だから黙祷を捧げることだけが私たちのなすべきことではなく、何気ない日常の中で思い出し、ささやかな祈りを捧げることもまた、大事なことです。型にはまるだけが人生ではありません。

 

わたしは今から12年ほど前まで、宮城県石巻市に住んでいました。

幼少期を過ごした、大切なふるさとです。

春はゴールデンウイークに桜が咲き、夏は過ごしやすい暑さで、秋になると秋刀魚祭りが土曜日にあって、秋刀魚の塩焼きとみそ汁が無料で配布されます。冬は路面が凍結、毎日の登下校はスケートでした。ご近所さんと雪かきをして車をふかすのが一日のスタートです。

アパートのドアには近所でとれた野菜やお魚の入った袋がかかっていて、わらしべ長者のように回覧板とスーパーの袋が回る、そんなあったかい町。

親の転勤で神奈川に移ったけど、今でも私のなかではそんなふるさとの風景が目に浮かびます。

 

みんなにとっては「被災地」「津波で流された土地」かもしれないけど、そこに人の営みがあって、今もそれを絶やさまいとしている人がいる。

メディアは毎年津波の映像を流し、恐怖を植え付けます。

風化しないように注意を促すことは大事だが、「まだ復興は遠い」と言うことが、かえって復興を遠のかせているのではないかと思う。

 

わたしの故郷は、いつまで「被災地」と呼ばれつづけなくてはならないのだろう。

鉄道が作られ、牡蠣の養殖をはじめたことを、誰が伝えてくれるのですか。

これではいつまでも、弱い立場のままです。

東京だって、被災地です。

 

神奈川に移り、高校生になって震災を目の当たりにしたその翌年。

通っていた高校では黙祷が捧げられました。

その時、周りのクラスメイト達はわき腹を突っついてこそこそ笑い合っていました。

人は怖いものだと知りました。

 

今私は命をもらっているのだと思うようになってから、中学まであったなんとなくの自殺願望も消えました。

命は平等です。

あの時、違う場所でも停電のなか肩身を寄せ合い生きていたのなら、我々も被災者です。

報道や、世の中のとらえ方ひとつで、もっと現状は明るくなる。そう思っています。