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ココロをいたわるブログ

言えないけど書きたい心の声

「電車で化粧、みっともない」は「迷惑だ」なら叩かれなかったのでは、という説

東急電鉄がついに重い腰を上げた。

東急電鉄ではマナー広告シリーズ「わたしの東急線通学日記」が、9月16日から駅構内や電車内でポスター、動画が掲載されている。

ii.tokyu.co.jp

現時点では全部で4種類が公開されている。

①「整列乗車」編…「大人になると、目指すゴールは、空席ですか?」

②「荷物」編…「東京ではじめて怒られた。ラクチンだと思っていた私、バカチンだった」

③「歩きスマホ」編…「ドラマのようにぶつかった。運命、ではなく歩きスマホだった。」

④「車内化粧」編…「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」

この、「車内化粧」をみっともない、としたことが女性に叩かれまくっているらしい。

 

こんな声が挙がっている。

「鉄道会社にキレイだとかみっともないとか言われる筋合いはない」

「『家で化粧してこない女はみっともない』なんて性差別」

「迷惑だ、ならまだしも“みっともない”を禁止の理由にすべきではない」

 

反対している人は、十中八九、電車内の化粧が習慣になっていると見て間違いないだろう。同じ女性としてただただ「すげー」と思っている。

私がいちばん引っかかったのが「みっともない」ではなく「迷惑だ」ならいいと言う声。自分が迷惑と言われるほうがまだマシだと言うのだ。

なにがそんなに引っかかるのだろうか。

 

  • 「迷惑」は客観、「みっともない」は主観 

人間関係を維持するために逸脱行動をシャットアウトすることがある。

「みっともない」という言葉は、「世間ではこれが常識」とされる基準から逸脱している状態だと❞話し手が❞判断して非難している。

確かにいかにも小姑がぐちぐち言いそうな感じが気がする。「こんなのも出来ないのか」と言われて腹が立つのと似ている。

 

一方、「迷惑」は世間一般の声だ。

つまり、多くの人の「みっともない」が集まって「迷惑」になる。

主観である「みっともない」が大多数にならないと、客観の「迷惑」にレベルアップ出来ない。

「あなたが思っているからって、みんながそうとは限らない」ということだ。

 

「誰かが不快に思っているかもしれないから、やめておこう」ではなく

「ここに居る人みんなに迷惑をかけるなら止めてもいい」になっている、と言える。

 

  • 良心や羞恥心に訴えたところで「どうでもいい」になる

「みっともない」かそうでないかは、その人の主観次第でどうとでもなる。

「こんな事をして恥ずかしいと思わないのか」という口調でマナー喚起をしたところで、一歩間違えればセクハラになったり、表現の自由を武器に徒党を組まれる。

反対多数になれば自分の意見が勝つのだから、お年寄りや妊婦さんなど(なぜか)市民権を得られにくい人が持つ力は弱い。

 

 

  • 今回の狙いは、マナー改善のための「話題性」どまり?

今回、東急電鉄はマスコミからの取材に対して、

「『車内化粧』に関わらず、電車内におけるマナー啓発として、ご利用いただいているお客さまのご意見などを踏まえて検討しました。通常お客さまの目に留まらないことが多いため、印象に残り、かつメッセージ性の強い内容を検討しました」

とコメントをしている。

それほどまでに、多くの人が「どうでもいい」と思っているのは、実は危険信号だと思う。

 

いっそ、マナーをルールに変えてしまう手もあるが、それだとルールから外れたものを全部否定しなくてはならなくなる。

関心を持ってもらうことで、その他大勢をマナー賛成派に引きずり込み多数決に勝つ――今回の東急電鉄の狙いは、そこにあったのかもしれない。