ココロをいたわるブログ

言えないけど書きたい心の声

就活の自己分析がきっかけで、うちの母親が毒親だと気づいた話

就活をする前からキャリア系の授業で自己分析をする機会が多く、これまでの20年間の人生を振り返り「楽しかったこと」「頑張ったこと」「辛かったこと」「挫折体験」などを洗い出す作業をしました。(折れ線グラフにするやり方もあるそうです)

自己分析を就活解禁と同時に開始する人もいます。業界は絞らず(または3つほど候補をあげて)選考を進めるなかで自分の軸が見えてきた。というようですが、どうしても選考が長期戦になることは避けられず、軸が見える前に、社会に否定されたように感じてしまうのではないかな、と思います。それでもいいのだ、という覚悟がはじめから必要だと思われます。

 

自己分析をするなかで、わたしは自分の育てられ方に疑問を感じるようになりました。というか、確信になりました。

母はどうやら今話題になりつつある、毒母であるようでした。(そう書いている時点で罪悪感がこみ上げてきます)

きっかけはキャリア系の授業でやった「人生の振り返りシート」で小学校からの思い出に残った出来事を箇条書きにする作業。「人に評価されていないと、楽しい思い出が何もない」ことに気づきました。

ネットで調べて見つけた「毒親に育てられた人の特徴」のチェックリストで、その原因がわかった気がしました。

 

1.親は私の行動しだいで幸せに感じたり感じなかったりする。

2.親は私の行動しだいで自分を誇らしく感じたり感じなかったりする。

3.親にとって私は人生の全てだ。

4.親は私なしには生きられないと思う。

5.私は親なしには生きられないと思う。

6.もし私が本当のこと(例えば、離婚する、充実した、同性愛である、フィアンセが外国人である、等々)を打ち明けたら、親はショックで(または怒りのあまり)倒れてしまうだろう。

7.もし親にたてついたら、私はもう永久に縁切りだと言われるだろう。

8.彼らがどれほど私を傷つけたかを話したら、私はきっと縁を切られてしまうだろう。

9.私は親の気持ちを傷つきそうな事は何一つ言ったりしたりするべきではない。

10.親の気持ちは自分の気持ちよりも重要だ。

11.親と話をすることなど意味がない。そんなことをしたところで、ろくな事は無いからだ。

12.親が変わってさえくれれば、私の気分は晴れる。

13.私は自分が悪い息子(娘)であることについて親に埋め合わせをしなくてはならない。

14.もし彼らがどれほど私を傷つけたか分からせることができたら、彼らも態度を変えるに違いない。

15.彼らがたとえどんなことをしたにしても、親なんだから敬意を払わなくてはならない。

16.私は親にコントロールなどされていない。私はいつも親とは闘っている。

(引用元:『毒になる親』スーザン・フォワード著)

この中で4つ以上当てはまると毒親らしいです。

わたしは6,7,14以外のすべて(13個)が当てはまっていました。これは何かまずいのではないか?と思わざるを得ない状況でした。。。

 

一人娘で、両親の期待と不安を一心に背負って生きてきたわたし。思えば、幼稚園の時から「お前は一人っ子なのだから、お父さんやお母さん、他の人には頼らずに、甘えずに生きなさい」「お前のマイペースさを他の人が許してくれると思うな」と常日頃聞かされていたため、

「生きる時も死ぬときも一人なんだ。わたしが鈍くさいせいで、人より劣っているせいで、生きるだけで他人に迷惑をかけてしまう存在なんだ。せめて人の役に立てれば、わたしも居ていいのかな」と考えていました。すごい園児だ。将来の夢は看護師になることだと言っていた気がするしそう自分に言い聞かせていました。

「お母さんはそんなことを言うけれど、じゃあどうしてわたしは生まれてきたんだろう?」と不思議に思い母に尋ねると、「橋の下で拾ってきたんだよ」と言われたことも。これは小学校低学年のとき(我が家では性的な話はいまだにタブーです)。

「もっと人より努力しなければ、きっと親はわたしなんかにはさっさと見切りをつけてどこかに行ってしまう。だって拾われた身だから。わたしは誰にも必要とされずに産まれてしまったんだから」と思っていました。これが中学3年までつづく「産まれてきてごめんなさい」思考の始まりだったのかもしれないな、と今日、本屋で毒親関連の本を読み漁り気づきました。

「女の子らしくしなさい」「○○高校が良いと思う」「あんたにはこんなかわいい服は似合わない」「もっと痩せればいいのにね」「○○ちゃんのお母さんが変なこと言うんだけどあんたは○○ちゃんと友達なの?」「○○ちゃんはえらいのに、あんたはいつもそう」…数々の呪いをかけられていたことに気づき、本やネットを見て愕然としました。

 

なんというか、ここまで書いてあれなんですが、親のことは好きです。何不自由なく育ててもらって感謝しています。「育ててやっているのだから感謝しろ」とうちの親がよく言うのはどうかと思いますが、感謝はしています。「産まれてきてよかった」とは思いませんが「生きててよかった」と思うことも今ではたくさんあります。

だから、自分の親を毒親と言うことにかなりの罪悪感があります。こうして文章にして感情を「見える化」すると客観的に見れちゃうので。「自分の親は良く見られたい」んですね、なぜなら「かわいそう」だから。

 

でも、わたしは毒親の連鎖を自分の代で終わらせるために、向き合うことから逃げないことに決めました。

 

いつか産むかもしれない自分の子どもに、あなたはお父さんとお母さんに望まれて産まれてきたと、ありのままのあなたで生きて良くてそれだけで愛される価値があるのだと伝えたい。パートナーになる方とは、そういうことを話し合えてお互いにお互いを支え合っていける関係を築きたい。

毒親に育てられ、うつ病と闘っている友人が「親のすがたを見ていると、とてもじゃないが自分には恋愛のあこがれは持てないし、わたしの子どもに同じ事をしてしまうんじゃないかと思うと怖いから、一生結婚はしたくない」と言っていました。

それほどに覚悟が要るのだと思い知らされた瞬間でした。

彼女は「子どもを持たない」ことで連鎖を絶とうとしている。わたしはどうだろう。そんなことはしたくない。彼女は子どもが苦手なようだが、わたしは好きだ。その小さな瞳でこれからたくさんのものを見ていくのだと考えるだけでどんな子どもも愛おしい。いまお付き合いをしている恋人と、もしそんなことになったら素敵だなとも思う。完璧な母親にはなれないかもしれないけれど、精いっぱいの愛情を子どもに注ぐ自信はある。それがわたしなりの「連鎖を絶つ」ということだ。

 

そんなわけで、今わたしは実家で就活をしているのですが、内定をいただいたらバイトを始めて、引っ越し代を貯めて大学卒業までに家を出る決意をしました。

毒親のもとでの就活ったら大変です。スケジュールをすべて把握しようとしてきます(いつものこと)。今日はどうだった?と、面接のあとに面接がはじまります(いつものこと)。

でもそれを乗り越えて、入社までに自立することができなければ、たぶん結婚するまでは自立のチャンスを完全に失くすだろうなと思います。エンジニアの世界はそんな甘いもんじゃないのは承知ですから。

 

今までは親の人生。これからはわたしの人生。自分のために生きて良いんだ。そう言い聞かせて、就活も闘っていこうと思います。

就活に対する親世代とのギャップに苦しむ

合同説明会で「文系と理系は1:9、文系でも大丈夫です!」「女性は1600人中250人です!女性もやる気次第で活躍できます!」と聞いてげんなりして帰ってきた。どこが大丈夫なんだ。

 

そして夕飯時、就活の話になってまたもや母親と揉めた。ダブルスタンダードの嵐な親にもう疲れてしまった。

 

母親は就活に対してそんなに苦労をしたことが無いから、「事務職でお茶汲みコピー取りで良いじゃない」とか「玉の輿に乗れば良いのよ」とか言ってくる。就活中は私の言ったことにはとりあえず反論して「世の中広いのよ」とアピールしたいようだ。

それに対し「よく分からないから適当にやってくれ」という放任主義の父。わたしはいつしか他人の評価を貰いたいだけの承認欲求マンになってしまった。

 

エンジニアの仕事に反対されないようにと「本当は最初事務職を見てたんだけど、別の職にしようと思って」と事務職のデメリットを並べてみる。

自動化でそもそも事務の人間が要らなくなること。派遣社員でいいので正社員で雇う必要がない。代わりがいくらでも居るので首を切られる可能性も高いし転職も厳しい。というわけで私は手に職を付けようと思う。

すると「事務職も求人があるのだから見てみれば良いじゃない(いやそれ派遣社員)」「事務職だって見てる人はきちんと見ている。仕事が出来る人は評価される」と言われて

「仕事が出来る人が出来ない人の仕事をする、でも現場はそれでまかり通るし給料も立場も一緒。『事務職は楽』といって入る輩がたくさん居る中で、そんな人の仕事を代わりにやって何になるの」「それで評価がされるから」「評価されて給料上がるの?」とかなんとか言い返してる間に口論になった。

 

女は子供を産み家庭に入って男を支えるべきと育てられた母。事務職で玉の輿に乗れば生きていけると思ってるんだろうけど、私は早く実家を出たいし玉の輿じゃなくて共働きがしたい。

今更理解してもらおうとしても無駄だと分かっているはずなのに、それが出来ない。親への依存なのだろう、毎日つらい。

このまま家で仕事を続けたらストレスで死ぬかもしれないと思った。早く家を出ないと死ぬ。

 

はーもう、すごく気分が暗くなる。今日はもう何もしたくない。今日は何のために存在してわたしは何故生きていたのか分かんない。

正直鬱だと思うけど薬を飲んだら大変になるのが分かるから絶対病院には行かないんだから。自分でなんとかしないと。。

あまりこんなオープンな場で憂鬱な話をしても仕方ないんだけど…気持ちの整理が付かないな。Twitterで愚痴らないだけ私は進歩したと思いたい。(すみません。たまにこういうこと書くかも)

大学が就活予備校になっているようじゃ日本の高等教育は発達しようがないよね、というお話

わたしの大学には、学部学科関係なく履修することのできるキャリア系の授業が多数あります。それはもう、多いです。ビジネスマナー、インターンシップ講座、SPI講座、さらにはゼミまで存在します。1年生から取れるものもあります。

大学が就活予備校化しているのはどこも同じかもしれませんが、お受験との線引きが曖昧なレベルまで来ていて、親が「うちの子、きちんと大学に出席していますか?」と大学の就職課等に電話してくる事例も珍しくありません。

この状況、このままにしておいて高大接続改革とかやってしまっては、近いうちに企業の面接に親が同伴してもふしぎではないなと思います(合説に親同伴は実際に見たことがあります)。

 

  • 「長期的なキャリアデザインを想定して…」

キャリア系の授業では「入社後3年で辞める大卒は3割居る。入ってすぐだけでなく30年、40年、50年後のキャリアを想定してキャリアデザインをしなさい」と、よく言われます。

これ毎回思うのだけど、そんな40年後のキャリアなんて誰も分かんないし、自分の身が危なくなったときに別の道の選択肢がある人生のほうがよっぽどストレスフリーです。年功序列も終身雇用も年金も、お先真っ暗なのは承知の上で若者は生きているんだから、もっと現実的なことを言ってほしいんですよね。万が一のときは転職できるようにしておけと。そのために最初の職場では腕を磨いておけと。

 

  • 「先生に課題を出されるので、とりあえず日経を読んでます」

就職系ゼミに入った知人にどんなことをやっているのか訊くと、

「先生にやるように言われたので、日経を毎日読んで1分間スピーチの練習をしている」「先輩に自己PRを添削してもらう」「自分の経歴や趣味・特技を伝えて、キャリアアドバイザーにES・履歴書のお手本を書いてもらっている」ということでした。

自分で「これをやろう」とかではなく「先生に言われたから」やるのであって「キャリアアドバイザーが自分の代わりに文章を書いてくれるからラッキー」なのです。なんだこりゃ。というか、とりあえず日経だから間違いない、ではなく各紙読み比べて日経がいいな、って思ったならわかるけどこれは…?

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  • まずは自分の専攻を磨いたほうが就活に役立つのでは

キャリア系の授業をバンバン取って意識高い高いをしている人ほど、「大学で何を学んできましたか?」の質問に詰む人が多くいます。「とりあえずキャリア系の授業取っておけばなんとかなる(/内定とれる)」が彼らの口癖で、自分の専攻の学びがいつの間にか、後回しになっているようでした。

 

勉強したくて大学に入る人ってどれくらいの割合なんだろう。もしくは最初はそうだったけど、ずるずると楽に走っちゃうのだろうか。これでは大学という学びの場が不憫でならない。

 

学費の高騰や奨学金で大学生がバイトを詰め込まないと生活できないから、勉強する暇がないというのはものすごく分かるし、それこそ一番どうにかしないといけない点です。

それに拍車をかけるように、就活予備校としてお金を積ませる大学のシステムもどうなんだ?さらに「キャリア教育を受けさせれば安全でしょ」という風潮もどうなんだ?とも思います。

これから大学生になる人は、まずは自分の専攻に注力した方が就活しやすいんじゃないかな、と思った次第です。

 

 

 

 

就活うつになったかもしれない

(すみません、愚痴です。他に話すあても無いので…)

 

去年の春から自己分析、業界研究をして、夏にはメーカー業のインターンシップに行って、11月からSPIの勉強をして、そして今就活が始まって、業界も絞れてきた。

順調に準備が進んでるはずなのに。なぜだろう。心身が病みだしている気がする。

 

(はじめに言っておくけれど、自分の命をどうこうしたいという事ではないです。中学生でその思考は断ちました。)

 

先月父が脳梗塞で入院し家に自粛ムードが漂ってからというもの、気分転換や息抜きすることにますます罪悪感を覚えるようになりました。

みんなも頑張ってるんだから、私も頑張らないと。そう思ってるのに、身体が言うことを聞きません。

 

「就活 うつ 症状」で検索したら、

・常に焦燥感がある
・寝つきが悪くなる
・朝におきたくなくなる
・食欲が落ちる
・やる気が出ない
・体が一日中だるい
・思考がぐるぐるとめぐり混乱する
・頭痛や腹痛

すべて当てはまってることに気づきました。

 

ひとりでいると毎日涙が止まらない。

食欲も無いし、趣味のゲームやカラオケは、費やすお金と時間を考えると、自分にはそれを受ける価値はないと思えてやる気が出ない。

新しい服や靴、口紅を買おうと駅に行くと、オシャレで綺麗な女性が沢山いて「私には無理」と尻込みして何も買わずに帰る。帰ったあと、今日が無駄に終わってしまったことに激しく後悔し、寝れなくなる。

 

両親が医療従事者のため、私のレセプトは親が書いています。そもそも根性論で叩きのめされるのが目に見え、心療内科の受診など出来ません。

 

お付き合いしている人に相談する事も多く、いつも迷惑をかけて申し訳ないと言うと、「罪悪感を感じるくらいなら、人に頼らずに自分の気分転換法を見つけないとね」と言われて、

人に頼ろうとしていた自分に腹が立って仕方がなく、彼氏にも申し訳なく、こんな自分が許せなくて涙が止まらない。

私は彼に何かしてやれてるのかな。いつも貰ってばかりだ。

 

人に頼って甘えてはいけない。

一人で生きていけるようになりなさい。

親にそう言われ、孤独感に押しつぶされてもなんとか這いつくばって生きてきた。ほんとうは誰かに頼ってもいいかもしれないけれど、勇気が出ない。人に頼らずに自分の気分転換法を見つけないと社会ではやっていけないのに。

 

まだ就活なんて始まったばかりなのに、こんな精神状態の自分が許せません。

大学でも合同説明会があるのですが、やっぱりFランなだけあって

どう考えてもブラックな勤務状況をさも当たり前のように押し付けてくる説明会が多く、それに疑問すら持たずに学生達が自ら進んで社畜になろうとしているのを見て、うわあ、バカバカしいなと思ってしまうんです。

そして、頑張っている他人をそんな風に見ている自分はもっと許せない。

 

こんなのでこれから生きていけるのだろうかと思うと不安で眠れない。

明日の説明会と試験のために勉強しなくてはならないのに、身体が拒否する。生理も来ない。怖い。

みんなも、私も、喪服みたいなスーツを来て、どこかに出荷されていくのだ。

大学受験で失敗しても、その先で頑張ればいい会社に入れるなんて嘘を信じたのが馬鹿だったのかもしれない。所詮、使いっ走りに使われるだけなのに。

 

こんな事を考えて、今日も夜になってしまいました。

有意義な1日を過ごす日が来るのだろうか。今日も自分が情けなくて涙が出ます。

就活うつ、7人に1人と言いますが、もっと多いんじゃないですかね、きっと。

 

 

私のふるさとは、いつまで「被災地」と言われなくてはならないのだろう

すなぎもです、こんにちは。

 

震災から6年。あの時どこで誰とどうしていたか。

今も鮮明に思い出し、周りと話す機会がある人がたくさんいると思います。もちろん、つらいことを無理に思い出す必要はありませんが、その時間は、大切に受け継いでいきたいものですね。

そして、今日が誕生日の方、結婚記念日の方、おめでとうございます。

今日という日は365日の1日でしかありません。3月11日だから黙祷を捧げることだけが私たちのなすべきことではなく、何気ない日常の中で思い出し、ささやかな祈りを捧げることもまた、大事なことです。型にはまるだけが人生ではありません。

 

わたしは今から12年ほど前まで、宮城県石巻市に住んでいました。

幼少期を過ごした、大切なふるさとです。

春はゴールデンウイークに桜が咲き、夏は過ごしやすい暑さで、秋になると秋刀魚祭りが土曜日にあって、秋刀魚の塩焼きとみそ汁が無料で配布されます。冬は路面が凍結、毎日の登下校はスケートでした。ご近所さんと雪かきをして車をふかすのが一日のスタートです。

アパートのドアには近所でとれた野菜やお魚の入った袋がかかっていて、わらしべ長者のように回覧板とスーパーの袋が回る、そんなあったかい町。

親の転勤で神奈川に移ったけど、今でも私のなかではそんなふるさとの風景が目に浮かびます。

 

みんなにとっては「被災地」「津波で流された土地」かもしれないけど、そこに人の営みがあって、今もそれを絶やさまいとしている人がいる。

メディアは毎年津波の映像を流し、恐怖を植え付けます。

風化しないように注意を促すことは大事だが、「まだ復興は遠い」と言うことが、かえって復興を遠のかせているのではないかと思う。

 

わたしの故郷は、いつまで「被災地」と呼ばれつづけなくてはならないのだろう。

鉄道が作られ、牡蠣の養殖をはじめたことを、誰が伝えてくれるのですか。

これではいつまでも、弱い立場のままです。

東京だって、被災地です。

 

神奈川に移り、高校生になって震災を目の当たりにしたその翌年。

通っていた高校では黙祷が捧げられました。

その時、周りのクラスメイト達はわき腹を突っついてこそこそ笑い合っていました。

人は怖いものだと知りました。

 

今私は命をもらっているのだと思うようになってから、中学まであったなんとなくの自殺願望も消えました。

命は平等です。

あの時、違う場所でも停電のなか肩身を寄せ合い生きていたのなら、我々も被災者です。

報道や、世の中のとらえ方ひとつで、もっと現状は明るくなる。そう思っています。

 

 

リクルートスーツが喪服に見えてならない

すなぎもです、こんにちは。

 

こんな就活生にまつわる記事があって驚きました。twitter等で話題ですね。

style.nikkei.com

非通知電話を企業がいち個人に掛けることを、なぜおかしいと思わないのか。

就活生ってこんなにも弱い立場なのだと実感するばかりです。

 

3/1、情報解禁。就活が本格的にスタートしました。

就活生のわたしもスーツの上から羽織ったコートを外で脱いで、ブルブル凍えながら、ふだんはライブ会場になるようなデカい場所でやる合説に行ったりしています。

 

就活生になってから気付く事ってたくさんあるんですね。

学歴フィルターがあるとかないとか、意識高い系学生の行動とか、ぶっちゃけ社風どうなのよとか。

自分の人生を否が応でも振り返る時期でもあります。すごく辛いけど、最後のモラトリアムなので、悩み倒したら良いのかもしれないなと思う今日この頃です。

 

実際、どデカい会社に行ってびっくりしたことがありました。

 

 

・黒オンリーのスーツの群勢に圧倒される

 

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黒いスーツの集団。同じ髪型、同じ服装。

金融・証券業界はさらに、同じ姿勢、同じようなメモ帳。そしてメガネ率の高さ。

喪服かよ?誰か死んだのか?お別れ会か?

そんな風にしか思えませんでした。

かく言うわたしもその服装の一人なのですが。 

これから出荷されるのを待つだけの冷凍マグロになった気分でした。

 

いつから就活は黒のスーツになったんでしょうかね。

男の人は今後もその黒スーツは使えますが、女の人にはフォーマルな場で「黒」のスーツはほぼ登場しません。

夏のクールビズも、女性はジャケットを脱いではいけないし、半袖で肌を露出してもいけません。

こんなにスーツに制約が多いならハナから女性にスーツなど着せなきゃ良いのになあ。

今時のランドセルはこんなに色があるのに。

最近はチャコールグレーや紺でも良い説がありますが、就活生という生き物は真面目で従順なので、変わりっこないんだろうなと思います。

この働きアリの軍勢がぞろぞろと出荷される光景に、本気で気分が悪くなってしまいふさぎ込む方も居ると聞き、お気持ちがすこし分かりました。

 

 

⑵お母さんと一緒に合説に来ている男子がいた

 

 

 

親同伴の合説なんて、都市伝説かと思ってましたが、ガチでした。

いやいや、のっぴきならない事情があるんだろうよ?と思ってたら、

カフカの椅子で「分かったよ帰るよ〜」と息子が横柄な態度を取っており、そんな様子はうかがえず。

 

すごいですね、未だに「うちの子が心配」と保護者向け就活セミナーが開かれる時代です。いつも満員御礼、立ち見もいるくらいだそうで、大学に来るキャリアアドバイザーも頭を抱えていました。すごく熱心にメモを取り、「一流企業に入るために親にできることは?」と質問が飛び交うんだとか。

お受験かな?

 

 

それでも、比較がすぐできて面白いので、合説に行くのは割といいかもしれないと思いました。

ただ、回り方は大事ですね。適当に一日中ダラダラ居座ってる人だらけでした。主催者的にも集客が命ですから一日中居心地が良いようにお昼を用意したりセミナーのスケジュールをバラしたりします。

サッと聞きたいとこだけ聞いて帰って、家に持ち帰り比較して作戦を練る。どっちが良いのかは人によります。

どっちにしようか先に決めとかないからダラダラするはめになるんだと思いました。人のふり見て我がふり直せですね。

 

後から「こういう企業が自分は面白いな、とか反対に、無理だわ〜って思ったな」ってなにか感想を持ち帰れたら、それだけでも実りある1日になるはず。

そうした毎日の積み重ねが就活なんですね。。

 

さて、今日も頑張って生きるぞ。

 

はじめて自分のホームページが作れた

プログラミングの勉強を始めて3日目。

プロゲートのHTML・CSS基礎版が終わったので、自分のホームページを作ってみた!(Yahoo!を借りたので、まだ広告だらけだけど…それでも第一歩なんだ…!)

FTPってなんだ?よくわっかんないよーって状態から、なんとかここまで来たぞ。

まだまだ右も左も分からないけれど、これも経験だと思って頑張ってみよう。

ITが視野に入ってる以上は何かやらなきゃだな。

 

ホームページ作成でめっちゃお世話になったサイトがこちら。

 

www.shoshinsha.com

 

統計を3年間やってると、パソコンで思ったようにいかないのってしょっちゅうだから、SPSSはいい練習だったのかも。(卒論でもお世話になるのかな?)

これから色々やってみます。

とりあえず行動あるのみ。今年の目標にしよう。