考えごとのひとりごと

日々のふとした疑問、悩みごとをゆったり語る場所。

「あたしおかあさんだから」は絶対に子どもに聴かせてはいけない

こんにちは。先日から会社の研修も始まって、ついに大学生から社会人の仲間入りって感じだな、とひしひし感じています。日々勉強。

 

さて先日、『あたしおかあさんだから』という歌の歌詞が炎上していると聞き、歌詞を読んでみたんです。

www.j-cast.com

で、「いやいやコレ普通に毒親やん…?なぜこのご時世に、世に出した…?」と疑問にしか思えない、その内容にびっくりしたんですよ。

1人暮らししてたの おかあさんになるまえ

ヒールはいて ネイルして

立派に働けるって 強がってた

 この時点で「ほう…?女性がおしゃれして立派に働くことを『強がってる』と…?」と、完全にヤバイ香りしかしねえな、という印象。

あたし おかあさんだから

あたしよりあなたの事ばかり

あたし おかあさんだから

いいおかあさんでいようって頑張るの 

 自分より子どものことを最優先してなにもかも捧げることが、「いいおかあさん」としている。(そもそも、「いいおかあさん」ってなんだろうか。(哲学))

もしも おかあさんになる前に 

戻れたなら 夜中に遊ぶわ

ライブに行くの 自分のために服買うの

 子どもがいなければもっと自由になれたのに、という恨み言を残してから、

それ全部より おかあさんになれてよかった

あたし おかあさんになれてよかった

あたし おかあさんになれてよかった

あたし おかあさんになれてよかった

だって あなたにあえたから

「でもあなたが居てよかったわ」と言う。

なんて呪いの言葉なんだ。と、思うんです。

 

「子どもには金がかかる。自分のことも、子どものために全て犠牲にした。でもおかあさんになれてよかった。」というのは、生きがいが完全に子供そのものになっていて、自分のなかが空っぽなのをとりあえず正当化しているだけ。これを美徳にしてはいけないと思うんです。

最後の「あたし おかあさんになれてよかった」を3回繰り返すところは、そう強調したいのかもしれませんが、自分にそう言い聞かせているだけに見えてしまうのは私だけ…?

 

この曲、子どもが聞いたらどう思うでしょうか?

「生まれてきてごめんなさい」と、考えるのではないでしょうか。

 

教育に深い関係のある「うたのおにいさん」が曲を出して「母親のありがたみを知ろうね」と言わんばかりに売り出すのは、もってのほか。目的は「ママへの応援歌」とありますが、はたしてそう聞こえるでしょうか。

さらに、「お前には本当に金がかかって仕方がない。もっと出来の良い子どもだったら」などと言われて育った、わたしのような毒親育ちはかなりショックを受けるのではないかと思うんですよ。トラウマのフラッシュバックの嵐ですよ。

 

作詞した方は男性で、子供を持つ父親だけれど

>【あたし、おかあさんだから】

 ってガマンしていることある人、

 コメントしてください(^o^)

SNSで呼びかけており、「母親が子供のために我慢している」ことが前提になっているのが何とも言えないヤバさを醸し出している。

それで今回の曲である。「きちんと世の中のママさんに取材もしたんです!」「号泣する人もいるんです!」という彼のコメントから、きっと「共感」の意味をはき違えている人なのだろうな、と思う。

自分が母親を経験しているわけでもないのに、「おかあさん」を主語にして育児を語ることをどうも甘く見すぎている。教育に関わらず、自分以外の人間を主語にするときには大きなリスクを伴い、配慮が必要だということを忘れてはならない。

「偉かったね」とコメントを返してあげる、といった点はもはや宗教に近い。手を差し伸べてくれる人もいないワンオペ育児に弱っているママはコロッといってしまうだろう。

『あたしおかあさんだから』作詞の経緯とは 「ガマンしてる」お母さんに「偉かったね」 (ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

 

ちなみに努力や自己犠牲を押し付けられたタイプの毒親育ちとしては、「母親でもあり、1人の女でもあり、自分自身で幸せを見つけている姿」が見たいなあと思っています(うちは無理っぽいけど)。「あなたがいるから幸せ」ではなく「あなたがいると、もっと幸せ」であってほしい。

この件を母親に「どう思う?」と聞いたら、「こんなの(歌詞のような生活)は当たり前でしょう?どうして炎上するの?」「昔もあんたには苦労したのよ?」という反応だったので、類は友を呼ぶんだなあ、と納得しました。

 

この曲は(一応)「ママの応援歌」らしい。

とはいえ、ママが聞いたら「この曲みたいに頑張ってないわたしは一体…?」となるし、子どもが聞いたら「こんなに親に大変な思いをさせてごめんなさい」ってなるし、これからママになる人は「こんなに大変な育児ができるだろうか」と心配になるのではないだろうか。誰得。

素直に「いつもありがとう」「たまには楽してね」くらいのもので良かったんじゃないかなあと思うんだけど。炎上商法としても嫌な感じだなあ。

みんな楽して生きようぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学で学べたもの

無事、卒論を提出しました。

私の学科は口頭試問が無いのでもう出せばこっちのものです。口頭試問が無い時点でお察しですが、まあとにかく文字数稼ぎに勤しむんです、みんな。私は長文書くのが好きなので、文字を稼ごうとしなくても長くなる(本当は良いことではないのですが…)んですが、論文に「○字以上書け」という文字数制限があるために、とにかくいかに長ったらしい文章を書くかがコツになってきます。この制度、やめればいいのに。

大学の卒業論文は正直、100%の力を出し切ってやるものではないなと思いました。普段から勉強を頑張っていれば、論文とは別の、興味のある勉強をもうすでに始めているはずで、そっちに今の大切な時間を費やせないのが勿体ないからです。

8割の力で、とにかく提出期限や担当の先生からの「この日までにここまでやってくれ」という期日をしっかりと守る。先生とのコミュニケーションも密にとる。これで十分。誰も学生の全力がどれくらいかなんて知りません。「こいつ手抜いてるな」なんて意外と分かりません。体壊すくらいまでやるものとは思えません。

提出期限前日まで本文をがりがり書いている人が居て、先生もその子の論文を最後まで確認できないのによく大学に提出させるよなあと疑問に感じましたが、要はその程度のもの、ということです。(もちろん大学によりますよ)

 

さて、大学の最後の授業・テスト・レポートを終え、わたしが大学4年間で感じたことは、「勉強楽しかったなあ」と「いろんな人と会えて良かったなあ」です。

最初は部活に入ったものの、熱の入らない練習を続けるわりに拘束時間の長さに嫌気がさしてすぐに離脱、その後ブラックバイトを経験、委員会に入るも人間関係のもつれで辞め、人生初の彼氏ができて、ホワイトバイトを経験して、今に至るわけですが

もともとは受験でことごとく失敗して入った大学。学歴コンプレックスもありましたが「その分たくさん勉強してやる!」と、勉強は人一倍しました。やってみたかった統計学にどっぷり浸かった1,2年生を経て、今はプログラミングをやっています。

社会人になって専門的な勉強をしようとしても莫大なお金がかかります。

いろんな先生に出会って、いい先生も良くない先生も、「こういう風に考える専門家がいるんだ」と知れるだけで、大学生活は成功といっても良いと思うくらい。

楽単だから良い、サイコーってことではない。「その分野への愛を語ってくれて、難しいことを簡単に解説できる教養の持ち主」が良い先生。

 

そして、高校に黒歴史を抱えるわたしにとって「人間ってたくさん居るんだ~」と知れたことも大きな救いでした。もちろん人間関係で悩んだこともたくさんあったけど、そこから離れて、また新たな人とコミュニケーションを取ることを止めなかったのが良い薬になった。大学は良くも悪くも広く浅い人間関係ができるところ。それを生かすも殺すも人しだい。

 

先日、中学時代の友人と8年ぶりに再会しました。その子は女子大学に通っていて、絵にかいたような、ゆるふわ女子になっていました。

で、しきりに「共学ってどんなところ?」と聞いてくるんです。高大と女子校で「共学は男子がいて怖いところ」というイメージがあるらしく、普通に話していても「やっぱり共学は危ないところなのね」とそのイメージに持っていってしまいがち。

どうやら大学ではグループ派閥が激しく、彼氏が出来た途端にハブられるなど面倒な場所らしい。第三者であるわたしには愚痴を言ってくるけれど、たぶん大学では聞き役に徹しているのだろう。褒めても否定するし、「Fランだから」「共学は楽しそうでいいね」といった自虐もよくする。バイトもサークルもやったことがなく、この先は自営業を継ぐという。

そんな狭い世界に7年間もいては、感覚もマヒしてくるんじゃないだろうか…。「自分」を主張することを恐れているようでした。

 

世界は広くて、たくさんの人がいることを大学で学べたことは大きいのだなと、彼女を見ていると改めて思います。彼女はそれでも、狭い世界を好んでいる。でも、同時に窮屈な思いもしている。

わたしが人間関係に悩んだ節々でコミュニケーションを諦めていたら、きっと彼女のような世界に住んでいただろうな、とも思います。もちろん彼女も彼女なりの苦労があって、それをわたしは計り知ることはできません。それでもわたしは諦めることをしたくない。

社会に出たら、もっと学べることが増えるのだろう。それだけでちょっとワクワクするんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の性が分からない私が「セクシャルフルイディティ」という言葉を聞いて

小さいころから「女の子らしくしなさい」と親や親戚から言われる割には、母親からは「ピンク色はお前には似合わない」「フリフリした服はやめなさい」というダブルスタンダードを受けていたわたし。

気づけば、わたしの頭の中には「女の自分」と「男の自分」が混在するようになった、という話をします。

 

女である自分と男である自分は、頭の中で必要に応じて切り替えることで共存している。例えば性別は関係なく誰かと話すときには女として振る舞うけれど、一人でいられるときは男である。ちなみに彼氏といるときはもちろん女である。これは別に無理して合わせているわけではなく、スイッチがただ切り替わるだけだ。

もしかして、二重人格なのか?と、本気で悩んだこともあった。でも、意識が解離しているわけではないし、二重人格というより「二重性格(志向・嗜好)」に近く、それで第三者への行動が変わるわけでもないので、違うという結論に至った。

きっと、生まれてからずっとある「男に生まれたかった」という羨望がそうさせているんだろうと思う。

 

小さいころから男子と遊ぶのが好きだった。

趣味も合うし、変な派閥も無いし、言いたいことをずばっと言える。多少のやらかしも冗談で笑い飛ばせる。「あなたって女子より男子と遊んでるほうが楽しそうよね」と嫌味を言われることも多かったが、そんなことを言われるようなグループでつるむよりマシだと思い、気にならなかった。「男子に媚びを売っているのよ」という陰口も、ショックを受けたが気にしないことにした。

そんな楽しい日々も、思春期で体つきが変わってだんだんと異性を気にするような歳になると終わりを告げる。わたしは人より成長が早かったので、胸が出るのもクラスで一番早く、男子といるとからかわれるようになった。「女のくせに俺たちの中に入ってくるな!」と追い払われ、つくづく「性ってめんどくせえものだな」という思いが募った。

 

また、「女は女らしく、男の言うことを聞きなさい」というのが母親の家系の考えである。親戚一同が集まる盆の季節には、男女の席が分かれており、女は料理の支度が終わるまで座ることができない(男はさっさと飯を食っている)。

成長するにつれ、その男尊女卑の刷り込みも増え、日に日に女である自分を許容しがたい気持ちになった。

その結果、今のような男と女の自分が共存する形になった。初めのほうはどっちの自分がわたしなのかとパニックになったので、日記を書く形でそのバランスを保っていたが、今ではその必要もなくなった。

 

今まで性的に好きになったのは男性だけだが、男である自分のときは女性も良いなと思うことがある。とはいえ、社交的な場面になると女性である気分になるので、別にこれまで人間関係で影響を及ぼしたことはない。

容姿については、ちょっと前まではボーイッシュだったが、最近は女の子らしい服も増えた。彼氏ができたことで、自分の性を自覚したのだろうと思う。男性である自分から見ても「こういう女が良い」と思う服や化粧をすることで均衡を保っている。

人生の中で、ちょっとずつ性が変わっているんだな、という気がしている。

 

「セクシャルフルイディティ」という言葉があるらしい。

性別は流動性のあるものであるという考え。とどのつまり「好きな人が好きでいいじゃない!」ということだろうと思う。わたしも同感だ。いまの彼氏が好きなのならそれでいい。自分がどんな性別であっても別にいいんだなと思えてきている。

 

とりあえず大事なのは、女性を辞めたいと思ってしまうことを辞めることだ。

 

この世の中は女性であるだけで、社会的に損することが多すぎる。結婚をしない女性、出産をしない女性への心無い言葉も多いし、それらをたとえしたとしても、言葉の暴力で叩かれる。基本的に人権はないと思っている。

でもそれはあくまで世間様の話であって、自分がどう思うかは別だ。好きな人と愛し合うことに社会的規範もなにも関係ない、という強い思いを持っていたい。

これからの長い人生、どんな恋愛をするのかわからないが、自分と相手の幸せがあれば、もうそれでいいやという気持ちで生きていこうと思っている。

 

 

 

今年買ってよかった化粧品をまとめてみる(たぶんブルべ夏)

相変わらず卒論執筆に追われています、こんにちは。

今日はいつもの鬱々とした話とは変わって、ついこないだまでの、はてなブログのお題「今年買ってよかったもの」にちなんで、今年買ってよかったコスメをまとめてみます。

巷ではパーソナルカラーたるものが色々言われてますが、自分ではブルべ夏かなあ。と思っています。ただプロに判断してもらったことはないです。書いとかないと色々言われそうなので…

というか、「プロによる診断が無い人はお断り」とか書かれてる掲示板等よく見かけるけど、自分でブルべ夏って思って「これ似合う!おすすめ!」って言うのに何の悪いことも無いのにどうしてそんなに殺伐としているんでしょうかね。自分が好きで似合っていて納得してるのならオールオッケー。みんな仲良くメイク楽しもうよ。てなスタンスです。あしからず。

 

さて。わたしの肌はというと、インナードライ肌・夕方どころか通学時間で既にテカる・日焼けをほとんどしない色白・毛穴と紫色のクマが悩み・口紅のオレンジはナポリタン食べ散らかした感じに発色してしまう てな具合。

 

・ファンデーション

コフレドール ビューティーオーラパクトUV

ビューティオーラ パクトUV イメージ 1

色展開が豊富。オークル系が土色になるわたしが悩みに悩んでたどり着いたのがこのソフトオークル。明るめの肌でも浅黒くも白浮きもせず、しっとりとなじむ。ケースにプラスチックの薄いふたがついているんだけど、いちいち取り外しをしなくていい設計になっているところもよい。

・アイブロウ

FANCL スムースタッチ アイブロウ

別売りホルダーとのセット例

このグレーを愛用中(写真はブラウン)。楕円形になっていて太さ調整が可能。

ホルダーが別売りなので、ケースか本体どっちかがだめになっても安く買い替えることができるのが強い。ヴィセのアイブロウはブラシが根元からぽっきり折れて使えなくなった。エクセルも友人が同様に壊したらしい。そのぶんこの子はしっかりした作りで安心。コスパはいいと思う。

・口紅

オペラ リップティント 06ピンクレッド

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皆さんご存知。重ね付けしても安っぽいティント感の発色にならない。とりあえずブルべだったら花嫁リップのコーラルピンクよりまずこれ。来年のバレンタイン時期に新色出るらしいので早く買いたい。

 

レブロン マットバーム 70ファイアリー

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強い発色なのでここぞという時の勝負色によい。強いカシスな色が手に入るのは外資がぴったり。指でぽんぽんするのがちょうどいい。ただ乾燥が気になるのがネック。あと香りが好き嫌い分かれる。

・アイライナー

ラブライナーリキッド グレージュブラウン

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グレージュブラウンは黒だと強すぎて印象がきつくなる人におすすめ。書きやすいし悲惨な崩れ方もしない。まつげの根元を自然に埋めることができるし、ブラウンシャドウを使わないのならブラウンのアイライナーはかえって不自然に見えることもある(当社比)ので、これくらいの黒がちょうど。ペンシルもいいと聞くので気になる。

・アイシャドウ

キャンメイク パーフェクトスタイリストアイズ 17プリンセスブーケ(限定色)

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theかわいい。初めてのカラーメイク。締め色が紫色、右上がくすみピンクで儚い印象に。腫れたような感じにならないギリギリのラインがうまい。セザンヌの発色に物足りなさを感じる人はキャンメイクがいいのかも。真ん中のラメもゴールドじゃないので浮かないのがよい。あまりピンクなんて柄じゃないが、仕事にはしていかないから!こればかりは許せ…といった気持ちになるほど良いものだった。限定とはいえ、人気さゆえ似たものが今後も出るのではと思う。

・チーク

キャンメイク パウダーチークス 紫のやつ2色

パウダーチークスPW38PW39.jpg

濃いのと薄いのとむらさき色は2つあるので、どちらかは絶対はまる。てか両方ほしい。つけすぎに注意して薄めに仕込むのがよい。冬場は血色が死ぬので欠かせないアイテム。

 

こんな感じでプチプラ王道を攻めたら間違いないことが分かった一年でした。来年もぼちぼち挑戦していくとします~。

 

 

 

 

 

 

 

Twitterってめんどくさい

わたしは実名でない趣味垢・兼リア垢という形でTwitterを3,4年ほどやっている。

いわば匿名のFacebookといった形。

なので、リアルの友人とネット上の知人がごちゃまぜになっている。

 

ただ単に分けるのが面倒だし、特に話す内容も大差ないので問題はなかったが、たまにリアルの友人から来るクソリプというかマジレスにめんどくささが積もってきた。

「年齢を重ねるごとにこのブランドが好きになりました」と言うと、「私は高校の頃からそれを着てましたけど?」と突っかかってくるタイプの人である。まあ彼女に限らずそういった人は一定数居る。「どんな人が見るか分からないんだから忠告してあげる。ありがたく思って」とありがた迷惑のおばちゃん感がすごい人。

わたしは「自分の価値観を相手に強要してくる人」が嫌いだ。自分の正義感を相手に押し付ける人はもっと嫌いだ。

そういった人にツイートを監視されていると思うと、本当に食べたものかゲームのスクリーンショットくらいしか呟けなくなった。

と、いうことでとりあえずログアウトした。

 

わたしは、「自分と他人の境界線を超えて相手を変えようとしていないか」「自分の正しいと思っていることは正しいとは限らない」など「他人・自分」の領域に線引きをして考えている。その境界線を土足で踏み込む人は絶対許すまじ。

 

で、そういうちょっかいを出してくる人ほどあまり呟かないわりにこちらを監視して注意してくる。意図がわからない。やっていることは初期アイコンのクソリプと変わらない。

わたしはそんな人と絡むエネルギーと時間があったら他の事をしよう。ゲームを進めよう。本も読もう。

 

昔はTwitterといえば自由でやさしい世界だったという。それがいつのまにかお互いを監視する世界になった。わたしはもう息苦しい印象しかない。

「今日も疲れた」と呟いたらサークルの同僚に「印象が悪くなるから辞めろ」と言われて最終的にイジメを受けたこともある。

それでもなんでTwitterをやるのか。自分でもわからないが無意識に「誰かと繋がっていたい」のだろう。でもその中で自分の葬式に出てくれる人は何人いるだろうか。そう考えると、そんなつながりに縋るのは恐ろしくなった。

わたしはこういうブログのほうが合っているのかもしれない。日記をかくことが前提なので協調圧力もTwitterに対して少ない。

これからはTwitterも断捨離して、エネルギーを使いすぎず生きていこうかな。

(ブログのデザインを気まぐれに変えました。方針に変更はありません)

 

 

 

結婚しなくても幸せになれる時代、なんじゃないの?

(※ブログの説明文がふわっとしていたので、そろそろ変えます。書くことは今まで通りです。また、読者さんが4人いらっしゃるとのこと、感謝します。まだまだ初心者で至らないことあるかもしれませんが、ふらりと立ち寄ってくだされば嬉しいです。)

 

 

「若者の結婚離れ」とはよく聞く話だ。

「いや、同情するなら金くれや」と大半の若者は思っていることだろう。

 

わたしは、将来年金が戻ってこないことを考えると、とても自分の家や車を買う気になれない。結婚も、経済的なことを考えて婚姻関係になったほうがよいと判断したら、結婚したらいいや、とすら考えている。タイミングが合えばしたらいい話で、焦る必要もないんじゃないかと思う。

それは、「夜景の見えるバーでプロポーズをしてもらうのが夢」だとか、「子供は二人ほしい」とかよりも、「就職先で何かあって転職することになったら」とか、「親が病気で動けなくなったら」といった心配ごとのほうが大きいからだ。

 

学校のキャリア教育ではよく「結婚して子供を産むとこれだけのお金が必要です」「女性はいったん仕事を辞めなければ生活はきついので、再就職を考えておきましょう」とか、脅しにかかってくる。

考えてみれば、「一生独身の場合のキャリア教育」は聞いたことはない。

 

なんで、結婚して子供を産むと苦労するぞとはじめから言うわりには、それ以外の人生の選択肢を提示してくれないのだろう。

苦労するのが当たり前で、それをしない人生のルートは許されないのだろうか。

 

わたしのバイト先は、40代~50代の主婦のパートさんが多い。

彼女たちもよく、「結婚して子供を産んだら大変なんだから、今のうちに~~しなさいよ!」と言ってくる。

まあ、親切心なのだろうからイラついたわけではないけど、「結婚して子供を産む人生」モデルしか頭の中に無いことの衝撃が大きかった。

わたしが「目が悪いし、注意力に自信が無いし、車も買う予定も無いので免許は取らないですね」と言うと「子供が熱を出したらどうするの!」「子供の習い事の送り迎えは!?」などと反対の嵐だった。

女の人生は、旦那や子どものために存在するものなのだろうか。

子どもが生きがいなら、子供がいつか巣立ったとき、親にいったい何が残るのだろうか。

 

わたしの親は、「お前には本当に金がかかるなあ」と嘆くことが昔から多々あった。でき婚ならまだしも、子育てには金がかかると分かってて産んだんじゃないだろうか。

わたしは、子どもは生きているだけで丸儲けだと思っているし、親が産んだのから子を育てるのは親の義務(中絶問題はまた別であるが)であって、「誰が育ててやっていると思っているんだ」という思考が全く分からない。というか、自分がそう言われてきて常々疑問だったから、分かりたくもない。

 

わたしの人生はわたしのもの。親のものでも、将来生まれてくるかもしれない自分の子供のものでも、旦那のものでもない。子どもには子どもの人生がある。

「結婚しなくても幸せだ」と胸を張って言える人をわたしはカッコイイと思う。

「一人でいられないふたり」より、「一人でもいいが二人のほうがいい」から一緒にいる。くらいの関係になれたら幸せだろうな、とも思う。

 

もうすぐ社会人になる。

今までレールをただなぞって生きてきたロボットが、ようやく自分の人生を歩める。責任も重いが、その分、生きている、生きなくてはと、より思うようになった。

幸せを人任せにしてはいけないなと、常々思う次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで私の事を分かってくれないの?」発言の意味

わたしの母親はよく「私の苦労を誰も分かってくれない」と嘆く。


昔は「わたしが分かってあげなきゃ、お母さんがかわいそう」って思ったので頑張って理解しようとしていた。「苦労を増やしてごめんなさい」とも思っていた。
でも良く考えてみたら、「家事を誰もやってくれない」と言う割には初めから誰にも頼まないし、
こちらがやった所で「私の家事にけちをつけるのか」「今やろうと思ったのに」「いつもと違う事をやって仕事を増やすな」など謎の怒りを買うことも少なくない。
そのため「お母さん、よくわからん。理不尽な人なんだな」と最近は客観視できるようになってきた。

 

母親を見ていてふと思ったのだが、
この「なんで私を分かってくれないの?」「どうして察してくれないの?」発言は、要求している事にレベル差がある。

 

Lv.1

「私は苦労している」という事を事実として認知してほしい
Lv.2

「私は苦労している」という事を知ったうえで、「それは確かに、あなたは大変でしたね」と事実に対して共感してほしい
Lv.3

「それは私が貴方と同じ立場だったとしても、大変だと思います」と、自己投影して共感してほしい
Lv.4

「貴方がそれだけ苦労していると考えるだけで、こちらも悲しくなります」と、同じ感情になってほしい
Lv.5

「私も苦労しているのだから、貴方も苦労して」と、同じ状況を体験してほしい

大抵はこのレベル5までに分かれる。


「私が今こういう状況だ」と認知して、共感して、追体験してほしい。までなので、
他人の領域にどこまで踏み込もうとしてくるかのレベルが人によって、または状況によって違う。という話だ。

 

なので、「どこまでなら自分は他人にして・されて、苦に感じないか」を良く考えたほうが良いと思った。
私はよく人の相談を受けるけれど、そのときはレベル2までにしている。


女子会だともう少し高いレベルのものが要求されることが多い。「共感」のレベルがぐっと高くなるからだ。
「○○の彼氏って本当〜な人だよね」「分かる〜!」の「分かる〜!」はどのレベルの分かるなのか、考えながら喋ると会話に取り残されるが面白い、かもしれない。

 

そしてわたしの母親はだいたいレベル4か5である。そりゃあストレスを感じるわ。
わたしの嫌いな人は「自分の価値観を押し付ける人」なのだが、ここからも来ているのかもしれない。


さて、わたしは他人にどこまで求めて生きているのか。同じ苦労をしてない人に「ずるい」だとか思ってないだろうか。
他人の振り見て我が振り直せとはこの事ですね。しっかりしなきゃ。。