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ココロをいたわるブログ

言えないけど書きたい心の声

苦労することが目的になってない?

今日は久し振りに、嫌なことをNOと言えた。

大学のゼミの飲み会のお誘いだ。

他の人にとっては小さいことかもしれないけど、断れない性格のわたしにとってはすごく大きいこと。それをやってのけたのだから、一歩前進できた気がする。

やっぱり飲み会はいつやるかより誰が来るかが問題なんだ、と知った。

次からは、初めは「予定は未定」で出席出してぎりぎりまでメンバーを確認して検討することにしよう(幹事ごめん)。

 

卒業論文を代替課程で回避しようとする人が相次ぎ、去年のメンバーが今年は散り散りになった。去年のメンバーは正直微妙だったので、まあ、その分真面目な人が集まってまあまあ居心地のいいゼミになったな、と思っていたところだった。

なんと今後は、去年のメンバーも交えての飲み会になるという。えええ。

 

わたしと同じ日程に〇を付けたのは、地雷がどこにあるか分かんない(とくに女子へ幻想を抱いている)デリケートなギター弾きのウェイ、2年前に二人でデートしたけどクソほどつまらなくて速攻距離を置いたらその後急速に太ったぽっちゃり君と、わたしに仕事を押し付ける責任転嫁が得意なサブカル女子。この3人が飲み会に来ると聞いてうわあ…となった。

でもこれ、今までなら我慢して行ってた。

 

けれど、最近自分をAC(アダルトチルドレン)と気づいて、人に嫌われることを極端に恐れる欠点を知ったわたし。これは自分の殻を破るチャンスと思って良い訳を作りなんとか脱出した。

(直後にサブカル女子も「わたしも予定つかなくなりました~」と断ってきた。まるでわたしと共謀したかのように…。こういう、わたしの真似をしたり、トイレまでとことん付いてきて自分の地位を確立するタイプの女子に何度泣かされたことか…←女子あるある?

 

自分の居心地がよいように、自分の時間を使っていいということ。そのためには嫌なことは断っても良いんだということ。これまで知らなかった。

自分にお金や時間を使って「よく頑張ったね」と甘やかしても、罰は当たらないらしいぞ、わたし。

就活やってても、毎日休む間もなく忙しいことで自分は就活をしているという安心感を得られる人がいる。「最近3時間しか寝てねーわ」とかね。本当に出来るやつは能力を買われてスカウトされるので、何十社も受けずとも内定なんてとっくにもらっているんだけど。

 

わたしも周りも、いつの間にか苦労することが目的になってる気がする。

 

10時ごろにやってる主婦の情報(討論?)番組で「自分の子どもに苦労をさせたほうがいいと思うか?」というアンケートに7割の主婦が「苦労させたほうがよい」と答えていたが、子どもなんて勝手に外で苦労をしているもんだ。学校で、登下校で、放課後の校庭で、友人関係や成績、ませてたら恋愛にも悩み事は絶えないと思う。

家でも「100点以外は認めない!」と厳しく育てられた優等生仮面のわたしからすると、せめて家庭では認めてやって、家は(もしかしたら唯一)自分の味方になってくれる居場所なのだと感じていれば、よそでも「必要な苦労なら受けて立とう」「これは不必要な苦労だからやらない」と勝手に判断力を磨いてくれるんじゃないかなと思う。

これを「めんどくさがり」と批判することはない。「めんどくさい」と思うことに親が「やりなさい」と言ってもやらされているだけになってしまうのだから。「やりたくない」のか「やる気が出ない」のか「変化を怖がっている」のか、という心理状況に目を向けてやればいい。やるかやらないかは本人次第だ。

 

わたしはこうして、自分の文章を書くことが好きだから、現時点で1437文字を書いていても全然苦にならない。だから卒業論文2万字なんて足りないだろとすら思う。でもそれが嫌で代替単位になる教科を取る人もいる(なぜ大学に…?)。

どんなことに苦労して、楽するのか。どんな趣味をもって、どんなことにお金を費やして、どんな人に恋するのか。そんなの自由だ。そのルールとして法律ってものが定められているから、反対に言えばそれ以外は、自分で責任とれれば何したっていい。

 

わたしもそうだし、ほかのACの方にとってそれを実感できただけでずいぶん楽になるんじゃないかな。

 

趣味を否定されたり、着ているものを似合わないと言われたり、けっこう傷つくこともあるけれど、他人を否定して自分を上げようとする人の中身を見てみると案外空っぽだったりする。世の中で流行っているだとか、結局人任せの水準で生きていることも多い。

自分で自分に落とし前つけて、幸せから逃げずに、生きていきたいものだなと思った出来事だった。飲み会分の浮いた3500円+交通費2000円で、わたしなりの楽しみ方をすればいい。

無理な人付き合いは避ける、というミッション、これでなんとか乗り越えていけそうな気がした。

学校のキャリア教育は鵜呑みにせず参考にしようって話

就活をしていて思うのが、「大学の就職課が言っていることと全然違うじゃん!」って思う事がありまくること。まあ毎年おんなじレジュメでおんなじ内容を教えてるんだろうからそりゃそうだわなって感じなのですが…。

「就活は人それぞれでいいんだな」と思ってよいことと、「いやこれは皆と同じようにやっとかなきゃあかんわ」ってことの線引きって難しい。でも、自分なりに考えておかないと泥沼。いつまでたっても終わらない人は、そこを人任せにしているケースが多々あります。

ということで、周りの就活生も客観的に見た中で、わたしが疑問に思っていることをまとめてみました。(もしかしたら皆言わないだけで「それな!」って思っているんだろうか?)

 

・大学の就職課の言う事すべてを信じこみ、ある意味「人任せ」にしてしまう

大学には、デカいか小さいかはさておき就職課(キャリア課・キャリアサポート課などかっこいい名前のとこもある)があります。そこに相談することは全然良いことですし、むしろ全く利用しないとなるとやばいんですが、宗教かよっていうくらい信じ切っている人が少なくないんですね。

「住所のふりがなに、301『号室』にも『ごうしつ』と書きなさいと言われた。マンション名のカタカナにもふりがなを振れって言われて、書ききれないよ~」と言う友人。「いやいや、カタカナにまで付けるのはやりすぎでは…?」と言うと、「でも、就職課の職員の人が言ってたから大丈夫!」。

「自分だと文章にするのが苦手なので、自己PR文を考えてもらいました!」という強者もいて、もはやそれ著作権大丈夫…?と聞きたくなるエピソードも。

就職課の職員さんも人間です。「履歴書・ESの添削お願いします!」と言うと、あら探しして「ダメなところ」を見つけようとします。そういう職員さんがダメということではなく、大切なお仕事なんです。客観的にダメ出ししてくれる人なんてなかなかいません。

なので、誤字脱字や接続詞など「日本語的に間違っている」という指摘、履歴書のこれはお約束!な書式が出来ていないなど「常識的に間違っている」指摘については素直に受け取り、内容に関しての指摘は鵜呑みにせず参考にすること。提出するのはあくまで自分の言葉・文章にすることが大切なんじゃないかなと思うんです。先ほど挙げた人達の文章には一貫性が無い印象を受けたので…

 

・とりあえず手帳を予定で埋めまくらないと心配

とりあえず何十社と受けまくろうとすると、スケジュールがきつすぎて体調を崩しかねません。しかもなぜか体力に自信が無い人ほど身体に鞭を打って手帳の予定をびっしりにします。真面目なんだろうけれど…。このスケジュール感覚は社会人になっても続くと思うのでわたしはかなり気を配ってます。

そもそも「同業他社がある中、なぜうちを?」の質問に答えられないのではないか?もしくは「御社のビジョンに共感して…」など他にも使いまわせる程度の意識たかいたかい返答になるのでは?とも思うんですが…どうなんでしょう。こういうのを要領よくこなす人がほんとうに出来るやつなんだろうなあ。

 

・業界にこだわる人ほど業種はどうでもよい。業種にこだわる人ほど業界はどうでもいい。

「俺は営業やるんだ!」って人ほど、受けてる会社の業界や、会社自体の目指してる目的がばらばら。「○○業界に入りたい!」って人ほど、職種はなんでもいいから入るんだって言う。

大学は会社名で就職の実績を残したいので、分かりやすいBtoCだったり金融だったりを推すんですね。「どんな働き方をしたいのか」というところを考えさせるキャリア教育は実はあまりありません。思考停止に追い込む形が多いので、それに自分で気づくことができたら冷静に業界研究ができるのかな(もちろんそこは教育が変わったらいいのですが)と思います。

 

・「40年後も生き残る会社を選びなさい」と「今の時代、転職も視野に入れた会社選びをしなさい」のダブルスタンダード

40年後が分からないから苦労しているんですけどね…。

こういうことを言うのは年配の方に多いです。「女の子は年をとるのが早いからねえ」とセクハラまがいのことを言われたので、指導を受ける人は年齢や性別が偏らないほうがいいかもしれません。

 

 

と、ここまで書きましたが、

つまりは「就活なんて人それぞれなんだ」ということを教わらないと、「就活生のあるべき姿」とのギャップに苦しむということ(わたしもそうだった)。

学校の広告にもなるし大手就職支援会社に委託すればそれでいいやーというのはあんまりですね…。

利用する側も、「アドバイスいただいてありがとうございます。(あくまで)勉強させていただきます」という心持でいたらいいのかな、と思う次第です。

AC克服をめざして行動したら、生きやすくなってきた

こんにちは。すなぎもです。こちらの記事のつづきです。

 

sunagimomo.hatenablog.com

 

就活が始まって1か月半。早い段階でやりたいことを決め、業界・業種ともに絞って就活を行っているのですが、じつは母親は技術職の仕事にあまり理解を示してくれていません。「女の子は事務でお茶くみコピー取りでいいのよ」ってな感じです。

ただ、「この人はわたしにとりあえず反論がしたいだけなんだ」と気づいてかなり肩の荷がおりました。思い返してみれば、今日と明日で言ってることが違うなんてしょっちゅうで、一貫性のないことばかり言われていました。わたしが事務をやると言えば、それはそれできっと反対してきたでしょう。

最近、わたしはわたしの人生を歩むのだということの意味が、ようやく分かってきました。

面接でもいっさい飾らずに、台本も用意せず、自分の言葉で挑んでいます。(キャリア課のアドバイスは真逆ですが)

けど、それを評価してくれる人もいるのですね。面接官の方に「ありのままの君を見せてほしいんだよ」と言っていただいたときには「わたしって素を出して他人と接していいのか、まじかよ」と、なんだか自分のすべてを許される気がしました。

自分でもびっくりしているのですが、AC克服と就活、同時進行の今が一番生きていて楽しいです。大変なことも、自尊心ひとつでこんなにも捉え方が変わるなんて思いませんでした。(何十社も受けるようなきついスケジュールにしていないからかもしれませんが)

 

もちろん就活だけでなにか変わるのはむずかしい。下の記事の内容を参考に、AC克服を目指すことにしました。

ac-happyskill.com

 

 

 

 

・ネガティブになる物を捨てる。

わたしも病んでる感じの曲に浸るのが好きです。アリプロ少女病の曲はいったんiPodから抜くことにして、ゆずやポルノグラフィティなど明るくてテンポの良い曲を聴いています。

個人的には無駄に明るい「かわいい私、すごいぞ私!今日も頑張るのよ!」的なものは聴いててついていけないので、無理のない範囲がよいと思います。

 

・ネガティブな人間関係を捨てる。

嫌なことを断れない性格なので、これからの課題です。女子あるある~な、一緒にトイレに行く、一緒に帰る、(大学で)一緒の授業に出るなどのなれ合いは断ることが出来ました。

 

・過去のトラウマの浄化

→小中高と感情を殺してなんとか生き延びていたので、「つらかった」という過去には蓋をしていました。でも過去と向き合わないままだと、日々の小さいことが引き金になってトラウマを思い出して辛くなることが多いのです。過去のトラウマを洗い出すのは、自分で自分を認めてあげるための第一歩かもしれません。

 

毒親への執着を捨てる。

親に認められて物質的にプラスになるのは成人する前(高卒なら高校卒業)までです。親に褒められたからって給料が上がるわけでもないし友達が増えるわけでもない。

小さいときは、親の機嫌をうかがわないと育ててもらえなかったから仕方なかったけれど、わたしは今、親にどう言われても生きていられる自信がある(自殺を踏みとどまったため)。

実家暮らし大学生なので今すぐには家は出られませんが、精神的な自立は今のうちだと思うようになりました。親にはなにをしても認めてもらえないし、一貫性がそもそもないので、そんな人に認めてもらってもなあ、と言う気持ちもあります。

 

・マイナス思考を捨てる。自信・自尊心をつける。

「わたしなんかが生きててごめんなさい」思考が長らくこびりついていたので、「自分に自信が無いの」と恋人に相談したところ、

おれやまわりの友達はお前を良いと思っているのに、自分を否定したら、その人達の価値観をも否定することになる。それはおれや友達にも失礼だよ」と教えてくれたことが心にしみました。

心配性やマイナス思考は、裏返せば、他の人が気づかないデメリットに気づき、先回りできるという強みにもなります。行動力があってポジティブな人だって、「何も考えずに突っ走って逆に迷惑」というときもあるのです。

わたしは別に「マイナス思考で生きたっていいじゃん」って思います。変えようとしてストレス感じるよりはマシ。そういう意味ではポジティブになるのかもしれませんが。

 

・自分の素を出す。言葉にして伝える。

わたしの場合は面接です。あらかじめ志望動機や自己PRは意識たかいたかいな台本を用意しておくのが鉄板ですが、いっさい作らずにやっています。

ちょっと言葉に詰まっても嘘吐くよりはいいですし、演技して入ったら入社後のミスマッチがえげつないんじゃないかというのが一番の理由です。(というか、志望動機が浮かばない会社は自分が行きたい会社じゃないんだから受けないほうがお互いのため…なぜみんな受けまくるのか)

ただ友人関係については、これまでスクールカーストにのっとって決められた人としか交流できなかったので、「友人を選ぶ」というのは得意ではありません。この人嫌だなあと思ってもズルズル付き合ってしまったり…。そういう人には、軽い対応はするものの依存はされないようにする大人の対応をできたらいいなあというのが今後の課題です。

 

 

……こんな感じで、自分の感情をアウトプットするのも大事だな、と思います。

ぐるぐる思考をめぐらせて寝れないのなら、一度紙に書いてみる。そしてこれは起きた後の宿題にする。そうしたうちにきっと、紙が無くても自分のなかで整理ができるようになるのかも。勉強ができるひとほどノートを取らないように、だんだん要領がつかめてくるんじゃないかな。

新学期が始まって図書館で何冊か毒親関連の本も読んでいるので、今後はそちらの事も書いていけたらと思います。就活についても、おいおい書きます。キャリア教育って謎だらけですからね。

それでは、また。

「生きづらさ」の原因を探るため、整理して書き出してみる

毒親について、本やネットで調べものをしています。

「いやお前就活中だろ」と言われそうですが、そんなにスケジュールを詰めてはいないし、なにしろこれが自立への一歩だと信じて合間を縫ってやってみています。

 

books.rakuten.co.jp

この本は読んでて泣きそうになりました。あるあるが詰まっています。

 

恋人に、「過去のことをぐるぐる悩みすぎて、現在に目を向けられていないよ」「いやなことは断る勇気を持ちなよ」と厳しくも優しいアドバイスをもらっています。ここまで暗い過去の話をしているのに大切に想ってくれる、本当にありがたい存在です。

昨日、彼に「遅れた反抗期だね」と言われて、衝撃を受けました。

そうか、普通のひとにしてみれば、反抗期や親不孝だと思われるんだろうなあ。わたしにしてみれば、これは生きるか死ぬかの問題なんだけれど。実際に死のうとしていたこともあるし。

「親が原因で生きづらい」ということは子どものせいじゃないのに。でもこれは、環境のちがい、仕方のないこと。誰にも分かってもらえないのかもしれない。辛いし、怖いけれど、せめて自分は「辛かったね、でも生き延びてくれてありがとう」と、当時の自分に言ってあげたい。自分のことを自分で認められるようになりたい。幸せから、もう逃げない。

 

そう思って、こちらの記事にあった「感情を吐き出す」ということを日記帳にしてみました。で、このブログにもその文章を残しておきます。

ac-happyskill.com

自分が見直す用ですが、もしおなじ毒親育ちの方が見ることがあったら「あるある!」って思ってくれたら嬉しいなあ。

 

①親にされて辛かったことを、具体的に、思いつく限りかきだす

・仕事やお父さんの愚痴を延々と聞かされる。口答えしたり聞かなかったりすると怒り出す

・掃除など家事をすると「今やろうと思ったのに」「やり方が違う」と怒る

・「橋の下で拾ってきた子だ」と言われた

・どんなに成績がよくても「100点は当たり前だ」と褒められなかった

・人前で恥ずかしいエピソードを披露されて恥をかかされる

・わたしの目の前で夫婦喧嘩をはじめる

・母や父の機嫌が悪いことをそれぞれ「お前のせいだ」と言ってくる

・褒めずにけなす

・「ごめんね」をほとんど聞いたことがない

・わたしのスケジュールを事細かに把握したがる

・わたしの友人関係にママ友の事情を挟んでくる(「あの子のお母さんがおかしいから友達にならない方が良い」)

・性的なことをいっさいタブーにする。避妊のことなどきいたことがない。

・面接のようす、受験のようすをきいてくる

・人の悪口や不幸な人のエピソードを聞いて「うちはこの人よりも平和で良かったな」と言う

LGBTへの「気持ち悪い」という言葉

・他の親の悪口を言って「わたしは間違っていない」と言って欲しがる

・学納金を現金で見せて「こんなお金が一瞬で消えるんだぞ」と言う

・「誰が育ててきたと思っているんだ」と言う

・わたしの体型のコンプレックスを指摘するくせに、ご飯は食べろと言う

・ご飯の時間、お風呂の時間など家族に合わせなければならない

・バイト先でわたしから見えないところに隠れて来ていた

・「女らしくいなさい」と遊戯王などを反対された

・最近は自立を阻害される

 

②本当はそのとき親にどうあって欲しかったと思うか

・愚痴を聞きたくなかった。聞かせるなら最後に何らかのフォローを入れて欲しかった。結局両親は好き合ってるわけではないのかもしれないと予感した。

・「ごめんね」も「ありがとう」も言ってほしい

・「お前にできるわけない」ではなく「できたらいいね」にしてほしかった

・「甘えるな」「頼るな」ではなく「人と支え合って生きていきなさい」と言ってくれたら生きやすかった。両親は支え合っても頼ってもいないのだろうか。

・21歳にもなってスケジュールを把握されるのは辛い。

・性的なことをタブー視することは、わたしが生まれたこと自体良くないことだったと思いこんでいた。愛し合う行為だと一言言ってほしかった。

・母が父の、父が母の機嫌が悪いことをわたしのせいにするのは、お互いの気持ちもカバーしきれない子供の恋愛にすぎないと思う。

・「女らしくいなさい」と言われることも生きにくい要因だった。なんであれお前なのだといってほしかった。

・「誰が育ててきたとやっていると思っているんだ」には「誰が産んだと思っているんだ」と返したい。わたしは望まれなかったのか

・人前で恥をかかされるより褒められたかった。私より世間体が大事なんだろうことはわかっていたが、じつはその都度自殺を考えていた。

・わたしの目の前で夫婦げんかをするのにはなにか意図があるのか?見せつけたいのか?どうであれ見たくはない。

・自立を阻害するのはわたしに構ってほしいから?そろそろ大人になってほしい。

 

③現在、普段の生活で生きづらいと感じることはなにか

・人に本音を言うのがこわい

・嫌なことを断れない

・幸せになるのがこわい

・人のためにならないと生きている価値が無いと思う

・休むことに罪悪感がある

・自立を阻害してくること

・人に嫌われるのがこわい

 

④それぞれに対して、親にどういうことをされたために、そうなったと思うか

・本音を言えば反対されることが分かっていた

・けなされて育ったために自分に生きる価値がないと思うし、せめて人のためにならないと生きている価値が無いと思う

・休んでいるあいだに他の人が先に進んでわたしは取り残されてしまうと言われた

・中学のとき、学校に行きたくないと言ったら平手打ちされたことがきっかけで弱音を吐いても誰にも理解されないしそんな甘えは許されないと思った

・家でも学校でも孤独なら死んでいるのと一緒だと思っていたので人に嫌われたら生きられないという思い込みがある

・「わたしが良い子にするからケンカしないで」と泣いた記憶がある(中学?)

 

⑤ぶつけたい思いを思いつく限り書きだす

・感謝を強要してくるのはどうかと思う

・結局ふたりは好き合っているのか疑問

・けなさないでとか無理wと言われた 人としてどうなのか

・機嫌や言う事がころころ変わり過ぎ。しかも覚えていない

・ほめて欲しいなら素直にそう言えばいい

・話を聞く前に聞かされていた

・なんなのセックスに恨みでもあるの?

・どう言っても無理なんだからせめて自立だけは邪魔しないでほしい

 

…以上です。

こうやって見えるようになるだけでずいぶん違うんだなあ…というのが感想。自分がどんなことで傷ついていたのか、自分でもまだよく分からないけれど若干見えてきた感がある。

次はこちらの「克服法」もやってみて、わたしならではの方法論も見つけていきたいな。

ac-happyskill.com

就活の自己分析がきっかけで、うちの母親が毒親だと気づいた話

就活をする前からキャリア系の授業で自己分析をする機会が多く、これまでの20年間の人生を振り返り「楽しかったこと」「頑張ったこと」「辛かったこと」「挫折体験」などを洗い出す作業をしました。(折れ線グラフにするやり方もあるそうです)

自己分析を就活解禁と同時に開始する人もいます。業界は絞らず(または3つほど候補をあげて)選考を進めるなかで自分の軸が見えてきた。というようですが、どうしても選考が長期戦になることは避けられず、軸が見える前に、社会に否定されたように感じてしまうのではないかな、と思います。それでもいいのだ、という覚悟がはじめから必要だと思われます。

 

自己分析をするなかで、わたしは自分の育てられ方に疑問を感じるようになりました。というか、確信になりました。

母はどうやら今話題になりつつある、毒母であるようでした。(そう書いている時点で罪悪感がこみ上げてきます)

きっかけはキャリア系の授業でやった「人生の振り返りシート」で小学校からの思い出に残った出来事を箇条書きにする作業。「人に評価されていないと、楽しい思い出が何もない」ことに気づきました。

ネットで調べて見つけた「毒親に育てられた人の特徴」のチェックリストで、その原因がわかった気がしました。

 

1.親は私の行動しだいで幸せに感じたり感じなかったりする。

2.親は私の行動しだいで自分を誇らしく感じたり感じなかったりする。

3.親にとって私は人生の全てだ。

4.親は私なしには生きられないと思う。

5.私は親なしには生きられないと思う。

6.もし私が本当のこと(例えば、離婚する、充実した、同性愛である、フィアンセが外国人である、等々)を打ち明けたら、親はショックで(または怒りのあまり)倒れてしまうだろう。

7.もし親にたてついたら、私はもう永久に縁切りだと言われるだろう。

8.彼らがどれほど私を傷つけたかを話したら、私はきっと縁を切られてしまうだろう。

9.私は親の気持ちを傷つきそうな事は何一つ言ったりしたりするべきではない。

10.親の気持ちは自分の気持ちよりも重要だ。

11.親と話をすることなど意味がない。そんなことをしたところで、ろくな事は無いからだ。

12.親が変わってさえくれれば、私の気分は晴れる。

13.私は自分が悪い息子(娘)であることについて親に埋め合わせをしなくてはならない。

14.もし彼らがどれほど私を傷つけたか分からせることができたら、彼らも態度を変えるに違いない。

15.彼らがたとえどんなことをしたにしても、親なんだから敬意を払わなくてはならない。

16.私は親にコントロールなどされていない。私はいつも親とは闘っている。

(引用元:『毒になる親』スーザン・フォワード著)

この中で4つ以上当てはまると毒親らしいです。

わたしは6,7,14以外のすべて(13個)が当てはまっていました。これは何かまずいのではないか?と思わざるを得ない状況でした。。。

 

一人娘で、両親の期待と不安を一心に背負って生きてきたわたし。思えば、幼稚園の時から「お前は一人っ子なのだから、お父さんやお母さん、他の人には頼らずに、甘えずに生きなさい」「お前のマイペースさを他の人が許してくれると思うな」と常日頃聞かされていたため、

「生きる時も死ぬときも一人なんだ。わたしが鈍くさいせいで、人より劣っているせいで、生きるだけで他人に迷惑をかけてしまう存在なんだ。せめて人の役に立てれば、わたしも居ていいのかな」と考えていました。すごい園児だ。将来の夢は看護師になることだと言っていた気がするしそう自分に言い聞かせていました。

「お母さんはそんなことを言うけれど、じゃあどうしてわたしは生まれてきたんだろう?」と不思議に思い母に尋ねると、「橋の下で拾ってきたんだよ」と言われたことも。これは小学校低学年のとき(我が家では性的な話はいまだにタブーです)。

「もっと人より努力しなければ、きっと親はわたしなんかにはさっさと見切りをつけてどこかに行ってしまう。だって拾われた身だから。わたしは誰にも必要とされずに産まれてしまったんだから」と思っていました。これが中学3年までつづく「産まれてきてごめんなさい」思考の始まりだったのかもしれないな、と今日、本屋で毒親関連の本を読み漁り気づきました。

「女の子らしくしなさい」「○○高校が良いと思う」「あんたにはこんなかわいい服は似合わない」「もっと痩せればいいのにね」「○○ちゃんのお母さんが変なこと言うんだけどあんたは○○ちゃんと友達なの?」「○○ちゃんはえらいのに、あんたはいつもそう」…数々の呪いをかけられていたことに気づき、本やネットを見て愕然としました。

 

なんというか、ここまで書いてあれなんですが、親のことは好きです。何不自由なく育ててもらって感謝しています。「育ててやっているのだから感謝しろ」とうちの親がよく言うのはどうかと思いますが、感謝はしています。「産まれてきてよかった」とは思いませんが「生きててよかった」と思うことも今ではたくさんあります。

だから、自分の親を毒親と言うことにかなりの罪悪感があります。こうして文章にして感情を「見える化」すると客観的に見れちゃうので。「自分の親は良く見られたい」んですね、なぜなら「かわいそう」だから。

 

でも、わたしは毒親の連鎖を自分の代で終わらせるために、向き合うことから逃げないことに決めました。

 

いつか産むかもしれない自分の子どもに、あなたはお父さんとお母さんに望まれて産まれてきたと、ありのままのあなたで生きて良くてそれだけで愛される価値があるのだと伝えたい。パートナーになる方とは、そういうことを話し合えてお互いにお互いを支え合っていける関係を築きたい。

毒親に育てられ、うつ病と闘っている友人が「親のすがたを見ていると、とてもじゃないが自分には恋愛のあこがれは持てないし、わたしの子どもに同じ事をしてしまうんじゃないかと思うと怖いから、一生結婚はしたくない」と言っていました。

それほどに覚悟が要るのだと思い知らされた瞬間でした。

彼女は「子どもを持たない」ことで連鎖を絶とうとしている。わたしはどうだろう。そんなことはしたくない。彼女は子どもが苦手なようだが、わたしは好きだ。その小さな瞳でこれからたくさんのものを見ていくのだと考えるだけでどんな子どもも愛おしい。いまお付き合いをしている恋人と、もしそんなことになったら素敵だなとも思う。完璧な母親にはなれないかもしれないけれど、精いっぱいの愛情を子どもに注ぐ自信はある。それがわたしなりの「連鎖を絶つ」ということだ。

 

そんなわけで、今わたしは実家で就活をしているのですが、内定をいただいたらバイトを始めて、引っ越し代を貯めて大学卒業までに家を出る決意をしました。

毒親のもとでの就活ったら大変です。スケジュールをすべて把握しようとしてきます(いつものこと)。今日はどうだった?と、面接のあとに面接がはじまります(いつものこと)。

でもそれを乗り越えて、入社までに自立することができなければ、たぶん結婚するまでは自立のチャンスを完全に失くすだろうなと思います。エンジニアの世界はそんな甘いもんじゃないのは承知ですから。

 

今までは親の人生。これからはわたしの人生。自分のために生きて良いんだ。そう言い聞かせて、就活も闘っていこうと思います。

就活に対する親世代とのギャップに苦しむ

合同説明会で「文系と理系は1:9、文系でも大丈夫です!」「女性は1600人中250人です!女性もやる気次第で活躍できます!」と聞いてげんなりして帰ってきた。どこが大丈夫なんだ。

 

そして夕飯時、就活の話になってまたもや母親と揉めた。ダブルスタンダードの嵐な親にもう疲れてしまった。

 

母親は就活に対してそんなに苦労をしたことが無いから、「事務職でお茶汲みコピー取りで良いじゃない」とか「玉の輿に乗れば良いのよ」とか言ってくる。就活中は私の言ったことにはとりあえず反論して「世の中広いのよ」とアピールしたいようだ。

それに対し「よく分からないから適当にやってくれ」という放任主義の父。わたしはいつしか他人の評価を貰いたいだけの承認欲求マンになってしまった。

 

エンジニアの仕事に反対されないようにと「本当は最初事務職を見てたんだけど、別の職にしようと思って」と事務職のデメリットを並べてみる。

自動化でそもそも事務の人間が要らなくなること。派遣社員でいいので正社員で雇う必要がない。代わりがいくらでも居るので首を切られる可能性も高いし転職も厳しい。というわけで私は手に職を付けようと思う。

すると「事務職も求人があるのだから見てみれば良いじゃない(いやそれ派遣社員)」「事務職だって見てる人はきちんと見ている。仕事が出来る人は評価される」と言われて

「仕事が出来る人が出来ない人の仕事をする、でも現場はそれでまかり通るし給料も立場も一緒。『事務職は楽』といって入る輩がたくさん居る中で、そんな人の仕事を代わりにやって何になるの」「それで評価がされるから」「評価されて給料上がるの?」とかなんとか言い返してる間に口論になった。

 

女は子供を産み家庭に入って男を支えるべきと育てられた母。事務職で玉の輿に乗れば生きていけると思ってるんだろうけど、私は早く実家を出たいし玉の輿じゃなくて共働きがしたい。

今更理解してもらおうとしても無駄だと分かっているはずなのに、それが出来ない。親への依存なのだろう、毎日つらい。

このまま家で仕事を続けたらストレスで死ぬかもしれないと思った。早く家を出ないと死ぬ。

 

はーもう、すごく気分が暗くなる。今日はもう何もしたくない。今日は何のために存在してわたしは何故生きていたのか分かんない。

正直鬱だと思うけど薬を飲んだら大変になるのが分かるから絶対病院には行かないんだから。自分でなんとかしないと。。

あまりこんなオープンな場で憂鬱な話をしても仕方ないんだけど…気持ちの整理が付かないな。Twitterで愚痴らないだけ私は進歩したと思いたい。(すみません。たまにこういうこと書くかも)

大学が就活予備校になっているようじゃ日本の高等教育は発達しようがないよね、というお話

わたしの大学には、学部学科関係なく履修することのできるキャリア系の授業が多数あります。それはもう、多いです。ビジネスマナー、インターンシップ講座、SPI講座、さらにはゼミまで存在します。1年生から取れるものもあります。

大学が就活予備校化しているのはどこも同じかもしれませんが、お受験との線引きが曖昧なレベルまで来ていて、親が「うちの子、きちんと大学に出席していますか?」と大学の就職課等に電話してくる事例も珍しくありません。

この状況、このままにしておいて高大接続改革とかやってしまっては、近いうちに企業の面接に親が同伴してもふしぎではないなと思います(合説に親同伴は実際に見たことがあります)。

 

  • 「長期的なキャリアデザインを想定して…」

キャリア系の授業では「入社後3年で辞める大卒は3割居る。入ってすぐだけでなく30年、40年、50年後のキャリアを想定してキャリアデザインをしなさい」と、よく言われます。

これ毎回思うのだけど、そんな40年後のキャリアなんて誰も分かんないし、自分の身が危なくなったときに別の道の選択肢がある人生のほうがよっぽどストレスフリーです。年功序列も終身雇用も年金も、お先真っ暗なのは承知の上で若者は生きているんだから、もっと現実的なことを言ってほしいんですよね。万が一のときは転職できるようにしておけと。そのために最初の職場では腕を磨いておけと。

 

  • 「先生に課題を出されるので、とりあえず日経を読んでます」

就職系ゼミに入った知人にどんなことをやっているのか訊くと、

「先生にやるように言われたので、日経を毎日読んで1分間スピーチの練習をしている」「先輩に自己PRを添削してもらう」「自分の経歴や趣味・特技を伝えて、キャリアアドバイザーにES・履歴書のお手本を書いてもらっている」ということでした。

自分で「これをやろう」とかではなく「先生に言われたから」やるのであって「キャリアアドバイザーが自分の代わりに文章を書いてくれるからラッキー」なのです。なんだこりゃ。というか、とりあえず日経だから間違いない、ではなく各紙読み比べて日経がいいな、って思ったならわかるけどこれは…?

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  • まずは自分の専攻を磨いたほうが就活に役立つのでは

キャリア系の授業をバンバン取って意識高い高いをしている人ほど、「大学で何を学んできましたか?」の質問に詰む人が多くいます。「とりあえずキャリア系の授業取っておけばなんとかなる(/内定とれる)」が彼らの口癖で、自分の専攻の学びがいつの間にか、後回しになっているようでした。

 

勉強したくて大学に入る人ってどれくらいの割合なんだろう。もしくは最初はそうだったけど、ずるずると楽に走っちゃうのだろうか。これでは大学という学びの場が不憫でならない。

 

学費の高騰や奨学金で大学生がバイトを詰め込まないと生活できないから、勉強する暇がないというのはものすごく分かるし、それこそ一番どうにかしないといけない点です。

それに拍車をかけるように、就活予備校としてお金を積ませる大学のシステムもどうなんだ?さらに「キャリア教育を受けさせれば安全でしょ」という風潮もどうなんだ?とも思います。

これから大学生になる人は、まずは自分の専攻に注力した方が就活しやすいんじゃないかな、と思った次第です。