考えごとのひとりごと

日々のふとした疑問、悩みごとをゆったり語る場所。

自分の性が分からない私が「セクシャルフルイディティ」という言葉を聞いて

小さいころから「女の子らしくしなさい」と親や親戚から言われる割には、母親からは「ピンク色はお前には似合わない」「フリフリした服はやめなさい」というダブルスタンダードを受けていたわたし。

気づけば、わたしの頭の中には「女の自分」と「男の自分」が混在するようになった、という話をします。

 

女である自分と男である自分は、頭の中で必要に応じて切り替えることで共存している。例えば性別は関係なく誰かと話すときには女として振る舞うけれど、一人でいられるときは男である。ちなみに彼氏といるときはもちろん女である。これは別に無理して合わせているわけではなく、スイッチがただ切り替わるだけだ。

もしかして、二重人格なのか?と、本気で悩んだこともあった。でも、意識が解離しているわけではないし、二重人格というより「二重性格(志向・嗜好)」に近く、それで第三者への行動が変わるわけでもないので、違うという結論に至った。

きっと、生まれてからずっとある「男に生まれたかった」という羨望がそうさせているんだろうと思う。

 

小さいころから男子と遊ぶのが好きだった。

趣味も合うし、変な派閥も無いし、言いたいことをずばっと言える。多少のやらかしも冗談で笑い飛ばせる。「あなたって女子より男子と遊んでるほうが楽しそうよね」と嫌味を言われることも多かったが、そんなことを言われるようなグループでつるむよりマシだと思い、気にならなかった。「男子に媚びを売っているのよ」という陰口も、ショックを受けたが気にしないことにした。

そんな楽しい日々も、思春期で体つきが変わってだんだんと異性を気にするような歳になると終わりを告げる。わたしは人より成長が早かったので、胸が出るのもクラスで一番早く、男子といるとからかわれるようになった。「女のくせに俺たちの中に入ってくるな!」と追い払われ、つくづく「性ってめんどくせえものだな」という思いが募った。

 

また、「女は女らしく、男の言うことを聞きなさい」というのが母親の家系の考えである。親戚一同が集まる盆の季節には、男女の席が分かれており、女は料理の支度が終わるまで座ることができない(男はさっさと飯を食っている)。

成長するにつれ、その男尊女卑の刷り込みも増え、日に日に女である自分を許容しがたい気持ちになった。

その結果、今のような男と女の自分が共存する形になった。初めのほうはどっちの自分がわたしなのかとパニックになったので、日記を書く形でそのバランスを保っていたが、今ではその必要もなくなった。

 

今まで性的に好きになったのは男性だけだが、男である自分のときは女性も良いなと思うことがある。とはいえ、社交的な場面になると女性である気分になるので、別にこれまで人間関係で影響を及ぼしたことはない。

容姿については、ちょっと前まではボーイッシュだったが、最近は女の子らしい服も増えた。彼氏ができたことで、自分の性を自覚したのだろうと思う。男性である自分から見ても「こういう女が良い」と思う服や化粧をすることで均衡を保っている。

人生の中で、ちょっとずつ性が変わっているんだな、という気がしている。

 

「セクシャルフルイディティ」という言葉があるらしい。

性別は流動性のあるものであるという考え。とどのつまり「好きな人が好きでいいじゃない!」ということだろうと思う。わたしも同感だ。いまの彼氏が好きなのならそれでいい。自分がどんな性別であっても別にいいんだなと思えてきている。

 

とりあえず大事なのは、女性を辞めたいと思ってしまうことを辞めることだ。

 

この世の中は女性であるだけで、社会的に損することが多すぎる。結婚をしない女性、出産をしない女性への心無い言葉も多いし、それらをたとえしたとしても、言葉の暴力で叩かれる。基本的に人権はないと思っている。

でもそれはあくまで世間様の話であって、自分がどう思うかは別だ。好きな人と愛し合うことに社会的規範もなにも関係ない、という強い思いを持っていたい。

これからの長い人生、どんな恋愛をするのかわからないが、自分と相手の幸せがあれば、もうそれでいいやという気持ちで生きていこうと思っている。

 

 

 

今年買ってよかった化粧品をまとめてみる(たぶんブルべ夏)

相変わらず卒論執筆に追われています、こんにちは。

今日はいつもの鬱々とした話とは変わって、ついこないだまでの、はてなブログのお題「今年買ってよかったもの」にちなんで、今年買ってよかったコスメをまとめてみます。

巷ではパーソナルカラーたるものが色々言われてますが、自分ではブルべ夏かなあ。と思っています。ただプロに判断してもらったことはないです。書いとかないと色々言われそうなので…

というか、「プロによる診断が無い人はお断り」とか書かれてる掲示板等よく見かけるけど、自分でブルべ夏って思って「これ似合う!おすすめ!」って言うのに何の悪いことも無いのにどうしてそんなに殺伐としているんでしょうかね。自分が好きで似合っていて納得してるのならオールオッケー。みんな仲良くメイク楽しもうよ。てなスタンスです。あしからず。

 

さて。わたしの肌はというと、インナードライ肌・夕方どころか通学時間で既にテカる・日焼けをほとんどしない色白・毛穴と紫色のクマが悩み・口紅のオレンジはナポリタン食べ散らかした感じに発色してしまう てな具合。

 

・ファンデーション

コフレドール ビューティーオーラパクトUV

ビューティオーラ パクトUV イメージ 1

色展開が豊富。オークル系が土色になるわたしが悩みに悩んでたどり着いたのがこのソフトオークル。明るめの肌でも浅黒くも白浮きもせず、しっとりとなじむ。ケースにプラスチックの薄いふたがついているんだけど、いちいち取り外しをしなくていい設計になっているところもよい。

・アイブロウ

FANCL スムースタッチ アイブロウ

別売りホルダーとのセット例

このグレーを愛用中(写真はブラウン)。楕円形になっていて太さ調整が可能。

ホルダーが別売りなので、ケースか本体どっちかがだめになっても安く買い替えることができるのが強い。ヴィセのアイブロウはブラシが根元からぽっきり折れて使えなくなった。エクセルも友人が同様に壊したらしい。そのぶんこの子はしっかりした作りで安心。コスパはいいと思う。

・口紅

オペラ リップティント 06ピンクレッド

f:id:sunagimomo:20171214225401p:plain

皆さんご存知。重ね付けしても安っぽいティント感の発色にならない。とりあえずブルべだったら花嫁リップのコーラルピンクよりまずこれ。来年のバレンタイン時期に新色出るらしいので早く買いたい。

 

レブロン マットバーム 70ファイアリー

f:id:sunagimomo:20171214225825p:plain

強い発色なのでここぞという時の勝負色によい。強いカシスな色が手に入るのは外資がぴったり。指でぽんぽんするのがちょうどいい。ただ乾燥が気になるのがネック。あと香りが好き嫌い分かれる。

・アイライナー

ラブライナーリキッド グレージュブラウン

f:id:sunagimomo:20171214230259p:plain

グレージュブラウンは黒だと強すぎて印象がきつくなる人におすすめ。書きやすいし悲惨な崩れ方もしない。まつげの根元を自然に埋めることができるし、ブラウンシャドウを使わないのならブラウンのアイライナーはかえって不自然に見えることもある(当社比)ので、これくらいの黒がちょうど。ペンシルもいいと聞くので気になる。

・アイシャドウ

キャンメイク パーフェクトスタイリストアイズ 17プリンセスブーケ(限定色)

f:id:sunagimomo:20171214231007p:plain

theかわいい。初めてのカラーメイク。締め色が紫色、右上がくすみピンクで儚い印象に。腫れたような感じにならないギリギリのラインがうまい。セザンヌの発色に物足りなさを感じる人はキャンメイクがいいのかも。真ん中のラメもゴールドじゃないので浮かないのがよい。あまりピンクなんて柄じゃないが、仕事にはしていかないから!こればかりは許せ…といった気持ちになるほど良いものだった。限定とはいえ、人気さゆえ似たものが今後も出るのではと思う。

・チーク

キャンメイク パウダーチークス 紫のやつ2色

パウダーチークスPW38PW39.jpg

濃いのと薄いのとむらさき色は2つあるので、どちらかは絶対はまる。てか両方ほしい。つけすぎに注意して薄めに仕込むのがよい。冬場は血色が死ぬので欠かせないアイテム。

 

こんな感じでプチプラ王道を攻めたら間違いないことが分かった一年でした。来年もぼちぼち挑戦していくとします~。

 

 

 

 

 

 

 

Twitterってめんどくさい

わたしは実名でない趣味垢・兼リア垢という形でTwitterを3,4年ほどやっている。

いわば匿名のFacebookといった形。

なので、リアルの友人とネット上の知人がごちゃまぜになっている。

 

ただ単に分けるのが面倒だし、特に話す内容も大差ないので問題はなかったが、たまにリアルの友人から来るクソリプというかマジレスにめんどくささが積もってきた。

「年齢を重ねるごとにこのブランドが好きになりました」と言うと、「私は高校の頃からそれを着てましたけど?」と突っかかってくるタイプの人である。まあ彼女に限らずそういった人は一定数居る。「どんな人が見るか分からないんだから忠告してあげる。ありがたく思って」とありがた迷惑のおばちゃん感がすごい人。

わたしは「自分の価値観を相手に強要してくる人」が嫌いだ。自分の正義感を相手に押し付ける人はもっと嫌いだ。

そういった人にツイートを監視されていると思うと、本当に食べたものかゲームのスクリーンショットくらいしか呟けなくなった。

と、いうことでとりあえずログアウトした。

 

わたしは、「自分と他人の境界線を超えて相手を変えようとしていないか」「自分の正しいと思っていることは正しいとは限らない」など「他人・自分」の領域に線引きをして考えている。その境界線を土足で踏み込む人は絶対許すまじ。

 

で、そういうちょっかいを出してくる人ほどあまり呟かないわりにこちらを監視して注意してくる。意図がわからない。やっていることは初期アイコンのクソリプと変わらない。

わたしはそんな人と絡むエネルギーと時間があったら他の事をしよう。ゲームを進めよう。本も読もう。

 

昔はTwitterといえば自由でやさしい世界だったという。それがいつのまにかお互いを監視する世界になった。わたしはもう息苦しい印象しかない。

「今日も疲れた」と呟いたらサークルの同僚に「印象が悪くなるから辞めろ」と言われて最終的にイジメを受けたこともある。

それでもなんでTwitterをやるのか。自分でもわからないが無意識に「誰かと繋がっていたい」のだろう。でもその中で自分の葬式に出てくれる人は何人いるだろうか。そう考えると、そんなつながりに縋るのは恐ろしくなった。

わたしはこういうブログのほうが合っているのかもしれない。日記をかくことが前提なので協調圧力もTwitterに対して少ない。

これからはTwitterも断捨離して、エネルギーを使いすぎず生きていこうかな。

(ブログのデザインを気まぐれに変えました。方針に変更はありません)

 

 

 

結婚しなくても幸せになれる時代、なんじゃないの?

(※ブログの説明文がふわっとしていたので、そろそろ変えます。書くことは今まで通りです。また、読者さんが4人いらっしゃるとのこと、感謝します。まだまだ初心者で至らないことあるかもしれませんが、ふらりと立ち寄ってくだされば嬉しいです。)

 

 

「若者の結婚離れ」とはよく聞く話だ。

「いや、同情するなら金くれや」と大半の若者は思っていることだろう。

 

わたしは、将来年金が戻ってこないことを考えると、とても自分の家や車を買う気になれない。結婚も、経済的なことを考えて婚姻関係になったほうがよいと判断したら、結婚したらいいや、とすら考えている。タイミングが合えばしたらいい話で、焦る必要もないんじゃないかと思う。

それは、「夜景の見えるバーでプロポーズをしてもらうのが夢」だとか、「子供は二人ほしい」とかよりも、「就職先で何かあって転職することになったら」とか、「親が病気で動けなくなったら」といった心配ごとのほうが大きいからだ。

 

学校のキャリア教育ではよく「結婚して子供を産むとこれだけのお金が必要です」「女性はいったん仕事を辞めなければ生活はきついので、再就職を考えておきましょう」とか、脅しにかかってくる。

考えてみれば、「一生独身の場合のキャリア教育」は聞いたことはない。

 

なんで、結婚して子供を産むと苦労するぞとはじめから言うわりには、それ以外の人生の選択肢を提示してくれないのだろう。

苦労するのが当たり前で、それをしない人生のルートは許されないのだろうか。

 

わたしのバイト先は、40代~50代の主婦のパートさんが多い。

彼女たちもよく、「結婚して子供を産んだら大変なんだから、今のうちに~~しなさいよ!」と言ってくる。

まあ、親切心なのだろうからイラついたわけではないけど、「結婚して子供を産む人生」モデルしか頭の中に無いことの衝撃が大きかった。

わたしが「目が悪いし、注意力に自信が無いし、車も買う予定も無いので免許は取らないですね」と言うと「子供が熱を出したらどうするの!」「子供の習い事の送り迎えは!?」などと反対の嵐だった。

女の人生は、旦那や子どものために存在するものなのだろうか。

子どもが生きがいなら、子供がいつか巣立ったとき、親にいったい何が残るのだろうか。

 

わたしの親は、「お前には本当に金がかかるなあ」と嘆くことが昔から多々あった。でき婚ならまだしも、子育てには金がかかると分かってて産んだんじゃないだろうか。

わたしは、子どもは生きているだけで丸儲けだと思っているし、親が産んだのから子を育てるのは親の義務(中絶問題はまた別であるが)であって、「誰が育ててやっていると思っているんだ」という思考が全く分からない。というか、自分がそう言われてきて常々疑問だったから、分かりたくもない。

 

わたしの人生はわたしのもの。親のものでも、将来生まれてくるかもしれない自分の子供のものでも、旦那のものでもない。子どもには子どもの人生がある。

「結婚しなくても幸せだ」と胸を張って言える人をわたしはカッコイイと思う。

「一人でいられないふたり」より、「一人でもいいが二人のほうがいい」から一緒にいる。くらいの関係になれたら幸せだろうな、とも思う。

 

もうすぐ社会人になる。

今までレールをただなぞって生きてきたロボットが、ようやく自分の人生を歩める。責任も重いが、その分、生きている、生きなくてはと、より思うようになった。

幸せを人任せにしてはいけないなと、常々思う次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで私の事を分かってくれないの?」発言の意味

わたしの母親はよく「私の苦労を誰も分かってくれない」と嘆く。


昔は「わたしが分かってあげなきゃ、お母さんがかわいそう」って思ったので頑張って理解しようとしていた。「苦労を増やしてごめんなさい」とも思っていた。
でも良く考えてみたら、「家事を誰もやってくれない」と言う割には初めから誰にも頼まないし、
こちらがやった所で「私の家事にけちをつけるのか」「今やろうと思ったのに」「いつもと違う事をやって仕事を増やすな」など謎の怒りを買うことも少なくない。
そのため「お母さん、よくわからん。理不尽な人なんだな」と最近は客観視できるようになってきた。

 

母親を見ていてふと思ったのだが、
この「なんで私を分かってくれないの?」「どうして察してくれないの?」発言は、要求している事にレベル差がある。

 

Lv.1

「私は苦労している」という事を事実として認知してほしい
Lv.2

「私は苦労している」という事を知ったうえで、「それは確かに、あなたは大変でしたね」と事実に対して共感してほしい
Lv.3

「それは私が貴方と同じ立場だったとしても、大変だと思います」と、自己投影して共感してほしい
Lv.4

「貴方がそれだけ苦労していると考えるだけで、こちらも悲しくなります」と、同じ感情になってほしい
Lv.5

「私も苦労しているのだから、貴方も苦労して」と、同じ状況を体験してほしい

大抵はこのレベル5までに分かれる。


「私が今こういう状況だ」と認知して、共感して、追体験してほしい。までなので、
他人の領域にどこまで踏み込もうとしてくるかのレベルが人によって、または状況によって違う。という話だ。

 

なので、「どこまでなら自分は他人にして・されて、苦に感じないか」を良く考えたほうが良いと思った。
私はよく人の相談を受けるけれど、そのときはレベル2までにしている。


女子会だともう少し高いレベルのものが要求されることが多い。「共感」のレベルがぐっと高くなるからだ。
「○○の彼氏って本当〜な人だよね」「分かる〜!」の「分かる〜!」はどのレベルの分かるなのか、考えながら喋ると会話に取り残されるが面白い、かもしれない。

 

そしてわたしの母親はだいたいレベル4か5である。そりゃあストレスを感じるわ。
わたしの嫌いな人は「自分の価値観を押し付ける人」なのだが、ここからも来ているのかもしれない。


さて、わたしは他人にどこまで求めて生きているのか。同じ苦労をしてない人に「ずるい」だとか思ってないだろうか。
他人の振り見て我が振り直せとはこの事ですね。しっかりしなきゃ。。

勉強嫌いは当たり前というお話

つい去年の春に入学したよね〜ってテンションで過ごしていたら、いつの間にか卒業論文の執筆に追われる日々を過ごしている。年を取るごとに一年過ぎるのが早くなるとは聞いていたが、こんなにだとは思ってなかった。1日1日を無駄にしまい、と生きる、今日この頃です。

12月になり、センター受験までのカウントダウンが近づくと、4年前の大学受験を思い出す。
私の高校はいわゆる進学校で、大学・短大・専門は問わないものの進学が前提の高校。さらに、指定校推薦枠が割と多く設けられていて、「お利口さんにしてれば(大学を選ばなければ)指定校で楽に決めれる」というところでした。
そのため、大学1年の頃から指定校推薦を狙う人たちは冷戦状態で、「〇〇さんがあの大学を狙っている」「あの人の内申点は〇点らしい」という小賢しいネットワークが出来上がっている始末。
はじめこそ「推薦は楽そうだなあ〜」なんて呑気に考えてた私も、「こいつらと戦うなんてバカじゃね?堂々と試験受けよ」と思い直し、推薦での受験を秒で諦め、塾でもそもそ勉強を続けました。

 

しかし。全く点数が伸びない。
それもそのはず。高校の授業は大学受験問題がベースになっていて生徒の理解度なんて気にせずマッハで進んでいる。「大学受験するならこれくらい分かるよね?」「この単元は塾でもうやっただろうから飛ばします」と教師もプレッシャーをかけてくる。
ひとつひとつ理解していく余裕なんてどこにもなかったため、とりあえず丸暗記でテストを乗り切っていたら、頭の中には何も残ってませんでした。
さらに、推薦組が「受験勉強?大変そうだね〜」とマウンティングをしかけてくる。心はズタボロだが、心の筋トレと思って無心を貫く。

正月もクリスマスも塾の特別講座に連行され、テレビや漫画、ネットの全てを断ち、勉強に全てをかけた。

 

だが結果は、第一志望、第二志望、第三志望、第四志望、とにかくすべて落ちた。

 

今通っている大学は、「これに落ちたら浪人だな」とヤケクソで3月に受けて滑り止まった大学である。正直言ってこの大学は全く考えてなかったので、願書を取りに行った日(願書を郵送する日数さえギリギリの状態だった)に初めてキャンパスを見た。
合格発表はホワイトデー。その5日前には卒業式。まさか自分が進路未定で卒業するなんて、思ってもいなかった。

 

とまあ、受験エピソードはかなりのズタボロだったが、実際は住めば都である。「不本意で入った大学とはいえ、勉強しない理由にはならない」とヤケクソながらも入学後もそこそこ勉強をした。
そこで気付いた。大学の勉強には正解が無い。マニュアルが無い。私の考えた事を試せる環境が整っているし、バカみたいな素朴な疑問に「面白い質問だね」と嬉しそうに答えてくれる先生もいる。

 

大学の勉強はめちゃ楽しいのである。

 

そして、推薦組でただ「よい成績」「先生に可愛がられる生徒」を目指して奔走していた人たちに卒業後会うと、「大学の勉強の仕方がわからない」と言う人が多かった。
(もちろん、推薦を目指す人が決まってこういう人だ!と決定づけているわけではない。私の周りがそうだっただけなので、あしからず)

 

つまりは、「マニュアル化した事を覚える」勉強と「自ら問いを立てて実証する」という勉強は全くの別物で、自分が向いてるかどうかはやってみなきゃ分からないということ。
大学はそのトライアンドエラーの場。自分が望んで行動さえすれば、どんどん、いろんな物を吸収する事が出来る。自由研究みたいなもんである。

 

そもそも、年表や英単語を暗記して問題をこなすのは「作業」に近い。新人社員が毎日お茶汲みコピー取りだけで一日中過ごしていたら「あれ?何のために働いてるんだっけ?」ってなる。受験勉強もだんだんと「自分は機械なのでは?」という気持ちになったのを覚えている。

今勉強はクソだなって思ってる人も、勉強は暗記力だけではないという事を体験しておいてほしい。


ポケモン150匹言えるのも、ドラクエの呪文が全部言えるのも、「楽しい」からで、強制された勉強を楽しいと思える訳がない。そんな勉強をクソだと思うほうが正常である。たいてい大人も同意見だし。
なんでもいいから、その道のプロに出会って話を聞くのも良いと思う。数学でも考古学でもプログラミングでも、その分野を楽しくて仕方ないと考える人に、教わる事は沢山ある。

今、卒論でお世話になっている教授も「そもそも君はなぜこれを調べたいと思ったのか」を重要視している。
受験勉強も、「なんでwillは未来形じゃないの?」「壁にも天井にもonなのはなんで?」などの疑問を持つことが本来なら重要なのだと思う。
「なんで桜じゃなくて梅なのですか?」と質問するCMもあったが、疑問を持つことはいいことである。受験では「そんな事よりいいから覚えなさい」と言われるが、十中八九先生もなぜだか分からないだけだ。

 

反省点としては振り返ってみると、本当に勉強して食って寝ての繰り返しだったので、今思えば息抜きすれば良かったなという後悔が残っている。
当時の最高の贅沢は「時間を使う」ことだった。そんな事より勉強だ!と、食に走って一時期太ったので、受験生はたまには時間を使って遊んでくるとよい。息抜きしても死ぬ訳ではないです。

大学は、自分の行動自体でオアシスにもなるし地獄(笑)にもなる。(強制された)勉強嫌いはみんな一緒です。だから大丈夫。

今日は4年前を思い出しつつ、寝るとします。

息抜きってむずかしい

久しぶりに書きます。こんにちは。

ITパスポートの勉強と卒論に追われていました…無事にITパスは合格したので、あとは論文に集中するのみです。

近況報告としては、ここ一週間でPCを新しくしました。ぱんぱかぱーん。

はてなブログって重いなあ…記事もすぐ落ちるし…って悩んで、毎回Wordから貼り付けていた(めんどい)のがバカみたいにさくさくです。動きがもっさりなのはサイトのせいだと思っていました、すみません。やっぱりスペックのせいでしたね。。

 

さて。

タイトルにもありますが、私は息抜きするのがど下手です。

過去に「自分にお金を使うのが苦手」といったことも書きました。↓

 

sunagimomo.hatenablog.com

新しいバイトを頑張りつつ試験勉強をしているうちに、まるで大学受験のころのように禁欲的な生活になり、バイト・勉強・家事しかマジでやらなくなっていました。

彼氏に「お前は自分を追い込む癖があるから、なにか余暇を見つけたほうがいい」と言われるものの「そんな暇があったら勉強しないと!!落ちたらめっちゃ後悔する!!

」とかなんとか言って結局体が悲鳴を上げる、みたいな生活です。

 

なんでこんな自分をぎりぎりまで追い詰める癖がついたんだろうと振り返ると、

・小学生のころ、テストで100点を取らなければ認めてもらえなかった(取ったとしても「小学校のテストで100点なんて当たり前だ」と言われる)

・親が偏差値ばかり気にするので、高校受験は勉強漬けだった

・中学の部活は運動部にしなさいという母親からの命令があった(結局心身ともに悲鳴をあげる)

とにかく「過程」より「結果を出しなさい」みたいな家庭だったからかなあ、という結論に至りました。

結果を出さなければ、家から追い出される。最悪死ぬしかない。と思って、生きてきた節があります。そのツケが、「自分に厳しくしないと生きてはいけないんだ」という発想に繋がったわけです。

 

昔から、理不尽に怒られるとよく「自分はここにいないんだ」という幽体離脱に近い気分になる現象がありました。そういう時には目の焦点をわざとずらしてゆらゆら彷徨うのが好きでした。中二病感がすごいですが幼少からの話です。(それが原因なのかひどい斜視です)

「自分はどこにいるんだろう」「わたしの人生は親のものなのだろうか」「なぜわたしはここにいるのか」みたいなことをしょっちゅう考えていたため、客観的に自分や他人を見るのが得意になり、今もこうして自己分析の日々です。

「そんなつらい過去は忘れてしまいなよ」と言われることも多いですが、わたしはむしろ勲章のように思っていて、つらい記憶は生きた証です。同じように家庭環境で悩んできた友人たちと話したりして、どこかで「私だけじゃないんだ」と思ってくれればと考えています。

なので、こうして今も文章を書いてます。(こういう話とはまた別の話も多いですけどね!)

 

自分にお金を使ったり、時間を使ったり、そういうのはあまり生産性のあることではないし、そんなに自分を甘やかして罪悪感が増すだけ。そんな気持ちが今もありますが、そうやって無理をして体を壊したときのほうがかえって人に迷惑をかけるし、なるべく上機嫌でにこにこしてるほうが周りにとっても精神的に良い。

…と、わかっちゃいるけど…無理をしてしまう。

これはもはや自傷行為だなと、最近思ったんです。

目に見える傷ではないけど、自己犠牲という面では変わりありません。

 

無理な案件もすべて引き受けて全部だめにしてしまう人と、無理なものは断って、いいものを仕上げる人なら、後者のほうが仕事が舞い込んでくるに違いありません。

自分の価値を、自分で下げないように。無理な仕事を断れるように。今日から心がけよう。