考えごとのひとりごと

日々のふとした疑問、悩みごとをゆったり語る場所。

Twitterってめんどくさい

わたしは実名でない趣味垢・兼リア垢という形でTwitterを3,4年ほどやっている。

いわば匿名のFacebookといった形。

なので、リアルの友人とネット上の知人がごちゃまぜになっている。

 

ただ単に分けるのが面倒だし、特に話す内容も大差ないので問題はなかったが、たまにリアルの友人から来るクソリプというかマジレスにめんどくささが積もってきた。

「年齢を重ねるごとにこのブランドが好きになりました」と言うと、「私は高校の頃からそれを着てましたけど?」と突っかかってくるタイプの人である。まあ彼女に限らずそういった人は一定数居る。「どんな人が見るか分からないんだから忠告してあげる。ありがたく思って」とありがた迷惑のおばちゃん感がすごい人。

わたしは「自分の価値観を相手に強要してくる人」が嫌いだ。自分の正義感を相手に押し付ける人はもっと嫌いだ。

そういった人にツイートを監視されていると思うと、本当に食べたものかゲームのスクリーンショットくらいしか呟けなくなった。

と、いうことでとりあえずログアウトした。

 

わたしは、「自分と他人の境界線を超えて相手を変えようとしていないか」「自分の正しいと思っていることは正しいとは限らない」など「他人・自分」の領域に線引きをして考えている。その境界線を土足で踏み込む人は絶対許すまじ。

 

で、そういうちょっかいを出してくる人ほどあまり呟かないわりにこちらを監視して注意してくる。意図がわからない。やっていることは初期アイコンのクソリプと変わらない。

わたしはそんな人と絡むエネルギーと時間があったら他の事をしよう。ゲームを進めよう。本も読もう。

 

昔はTwitterといえば自由でやさしい世界だったという。それがいつのまにかお互いを監視する世界になった。わたしはもう息苦しい印象しかない。

「今日も疲れた」と呟いたらサークルの同僚に「印象が悪くなるから辞めろ」と言われて最終的にイジメを受けたこともある。

それでもなんでTwitterをやるのか。自分でもわからないが無意識に「誰かと繋がっていたい」のだろう。でもその中で自分の葬式に出てくれる人は何人いるだろうか。そう考えると、そんなつながりに縋るのは恐ろしくなった。

わたしはこういうブログのほうが合っているのかもしれない。日記をかくことが前提なので協調圧力もTwitterに対して少ない。

これからはTwitterも断捨離して、エネルギーを使いすぎず生きていこうかな。

(ブログのデザインを気まぐれに変えました。方針に変更はありません)

 

 

 

結婚しなくても幸せになれる時代、なんじゃないの?

(※ブログの説明文がふわっとしていたので、そろそろ変えます。書くことは今まで通りです。また、読者さんが4人いらっしゃるとのこと、感謝します。まだまだ初心者で至らないことあるかもしれませんが、ふらりと立ち寄ってくだされば嬉しいです。)

 

 

「若者の結婚離れ」とはよく聞く話だ。

「いや、同情するなら金くれや」と大半の若者は思っていることだろう。

 

わたしは、将来年金が戻ってこないことを考えると、とても自分の家や車を買う気になれない。結婚も、経済的なことを考えて婚姻関係になったほうがよいと判断したら、結婚したらいいや、とすら考えている。タイミングが合えばしたらいい話で、焦る必要もないんじゃないかと思う。

それは、「夜景の見えるバーでプロポーズをしてもらうのが夢」だとか、「子供は二人ほしい」とかよりも、「就職先で何かあって転職することになったら」とか、「親が病気で動けなくなったら」といった心配ごとのほうが大きいからだ。

 

学校のキャリア教育ではよく「結婚して子供を産むとこれだけのお金が必要です」「女性はいったん仕事を辞めなければ生活はきついので、再就職を考えておきましょう」とか、脅しにかかってくる。

考えてみれば、「一生独身の場合のキャリア教育」は聞いたことはない。

 

なんで、結婚して子供を産むと苦労するぞとはじめから言うわりには、それ以外の人生の選択肢を提示してくれないのだろう。

苦労するのが当たり前で、それをしない人生のルートは許されないのだろうか。

 

わたしのバイト先は、40代~50代の主婦のパートさんが多い。

彼女たちもよく、「結婚して子供を産んだら大変なんだから、今のうちに~~しなさいよ!」と言ってくる。

まあ、親切心なのだろうからイラついたわけではないけど、「結婚して子供を産む人生」モデルしか頭の中に無いことの衝撃が大きかった。

わたしが「目が悪いし、注意力に自信が無いし、車も買う予定も無いので免許は取らないですね」と言うと「子供が熱を出したらどうするの!」「子供の習い事の送り迎えは!?」などと反対の嵐だった。

女の人生は、旦那や子どものために存在するものなのだろうか。

子どもが生きがいなら、子供がいつか巣立ったとき、親にいったい何が残るのだろうか。

 

わたしの親は、「お前には本当に金がかかるなあ」と嘆くことが昔から多々あった。でき婚ならまだしも、子育てには金がかかると分かってて産んだんじゃないだろうか。

わたしは、子どもは生きているだけで丸儲けだと思っているし、親が産んだのから子を育てるのは親の義務(中絶問題はまた別であるが)であって、「誰が育ててやっていると思っているんだ」という思考が全く分からない。というか、自分がそう言われてきて常々疑問だったから、分かりたくもない。

 

わたしの人生はわたしのもの。親のものでも、将来生まれてくるかもしれない自分の子供のものでも、旦那のものでもない。子どもには子どもの人生がある。

「結婚しなくても幸せだ」と胸を張って言える人をわたしはカッコイイと思う。

「一人でいられないふたり」より、「一人でもいいが二人のほうがいい」から一緒にいる。くらいの関係になれたら幸せだろうな、とも思う。

 

もうすぐ社会人になる。

今までレールをただなぞって生きてきたロボットが、ようやく自分の人生を歩める。責任も重いが、その分、生きている、生きなくてはと、より思うようになった。

幸せを人任せにしてはいけないなと、常々思う次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで私の事を分かってくれないの?」発言の意味

わたしの母親はよく「私の苦労を誰も分かってくれない」と嘆く。


昔は「わたしが分かってあげなきゃ、お母さんがかわいそう」って思ったので頑張って理解しようとしていた。「苦労を増やしてごめんなさい」とも思っていた。
でも良く考えてみたら、「家事を誰もやってくれない」と言う割には初めから誰にも頼まないし、
こちらがやった所で「私の家事にけちをつけるのか」「今やろうと思ったのに」「いつもと違う事をやって仕事を増やすな」など謎の怒りを買うことも少なくない。
そのため「お母さん、よくわからん。理不尽な人なんだな」と最近は客観視できるようになってきた。

 

母親を見ていてふと思ったのだが、
この「なんで私を分かってくれないの?」「どうして察してくれないの?」発言は、要求している事にレベル差がある。

 

Lv.1

「私は苦労している」という事を事実として認知してほしい
Lv.2

「私は苦労している」という事を知ったうえで、「それは確かに、あなたは大変でしたね」と事実に対して共感してほしい
Lv.3

「それは私が貴方と同じ立場だったとしても、大変だと思います」と、自己投影して共感してほしい
Lv.4

「貴方がそれだけ苦労していると考えるだけで、こちらも悲しくなります」と、同じ感情になってほしい
Lv.5

「私も苦労しているのだから、貴方も苦労して」と、同じ状況を体験してほしい

大抵はこのレベル5までに分かれる。


「私が今こういう状況だ」と認知して、共感して、追体験してほしい。までなので、
他人の領域にどこまで踏み込もうとしてくるかのレベルが人によって、または状況によって違う。という話だ。

 

なので、「どこまでなら自分は他人にして・されて、苦に感じないか」を良く考えたほうが良いと思った。
私はよく人の相談を受けるけれど、そのときはレベル2までにしている。


女子会だともう少し高いレベルのものが要求されることが多い。「共感」のレベルがぐっと高くなるからだ。
「○○の彼氏って本当〜な人だよね」「分かる〜!」の「分かる〜!」はどのレベルの分かるなのか、考えながら喋ると会話に取り残されるが面白い、かもしれない。

 

そしてわたしの母親はだいたいレベル4か5である。そりゃあストレスを感じるわ。
わたしの嫌いな人は「自分の価値観を押し付ける人」なのだが、ここからも来ているのかもしれない。


さて、わたしは他人にどこまで求めて生きているのか。同じ苦労をしてない人に「ずるい」だとか思ってないだろうか。
他人の振り見て我が振り直せとはこの事ですね。しっかりしなきゃ。。

勉強嫌いは当たり前というお話

つい去年の春に入学したよね〜ってテンションで過ごしていたら、いつの間にか卒業論文の執筆に追われる日々を過ごしている。年を取るごとに一年過ぎるのが早くなるとは聞いていたが、こんなにだとは思ってなかった。1日1日を無駄にしまい、と生きる、今日この頃です。

12月になり、センター受験までのカウントダウンが近づくと、4年前の大学受験を思い出す。
私の高校はいわゆる進学校で、大学・短大・専門は問わないものの進学が前提の高校。さらに、指定校推薦枠が割と多く設けられていて、「お利口さんにしてれば(大学を選ばなければ)指定校で楽に決めれる」というところでした。
そのため、大学1年の頃から指定校推薦を狙う人たちは冷戦状態で、「〇〇さんがあの大学を狙っている」「あの人の内申点は〇点らしい」という小賢しいネットワークが出来上がっている始末。
はじめこそ「推薦は楽そうだなあ〜」なんて呑気に考えてた私も、「こいつらと戦うなんてバカじゃね?堂々と試験受けよ」と思い直し、推薦での受験を秒で諦め、塾でもそもそ勉強を続けました。

 

しかし。全く点数が伸びない。
それもそのはず。高校の授業は大学受験問題がベースになっていて生徒の理解度なんて気にせずマッハで進んでいる。「大学受験するならこれくらい分かるよね?」「この単元は塾でもうやっただろうから飛ばします」と教師もプレッシャーをかけてくる。
ひとつひとつ理解していく余裕なんてどこにもなかったため、とりあえず丸暗記でテストを乗り切っていたら、頭の中には何も残ってませんでした。
さらに、推薦組が「受験勉強?大変そうだね〜」とマウンティングをしかけてくる。心はズタボロだが、心の筋トレと思って無心を貫く。

正月もクリスマスも塾の特別講座に連行され、テレビや漫画、ネットの全てを断ち、勉強に全てをかけた。

 

だが結果は、第一志望、第二志望、第三志望、第四志望、とにかくすべて落ちた。

 

今通っている大学は、「これに落ちたら浪人だな」とヤケクソで3月に受けて滑り止まった大学である。正直言ってこの大学は全く考えてなかったので、願書を取りに行った日(願書を郵送する日数さえギリギリの状態だった)に初めてキャンパスを見た。
合格発表はホワイトデー。その5日前には卒業式。まさか自分が進路未定で卒業するなんて、思ってもいなかった。

 

とまあ、受験エピソードはかなりのズタボロだったが、実際は住めば都である。「不本意で入った大学とはいえ、勉強しない理由にはならない」とヤケクソながらも入学後もそこそこ勉強をした。
そこで気付いた。大学の勉強には正解が無い。マニュアルが無い。私の考えた事を試せる環境が整っているし、バカみたいな素朴な疑問に「面白い質問だね」と嬉しそうに答えてくれる先生もいる。

 

大学の勉強はめちゃ楽しいのである。

 

そして、推薦組でただ「よい成績」「先生に可愛がられる生徒」を目指して奔走していた人たちに卒業後会うと、「大学の勉強の仕方がわからない」と言う人が多かった。
(もちろん、推薦を目指す人が決まってこういう人だ!と決定づけているわけではない。私の周りがそうだっただけなので、あしからず)

 

つまりは、「マニュアル化した事を覚える」勉強と「自ら問いを立てて実証する」という勉強は全くの別物で、自分が向いてるかどうかはやってみなきゃ分からないということ。
大学はそのトライアンドエラーの場。自分が望んで行動さえすれば、どんどん、いろんな物を吸収する事が出来る。自由研究みたいなもんである。

 

そもそも、年表や英単語を暗記して問題をこなすのは「作業」に近い。新人社員が毎日お茶汲みコピー取りだけで一日中過ごしていたら「あれ?何のために働いてるんだっけ?」ってなる。受験勉強もだんだんと「自分は機械なのでは?」という気持ちになったのを覚えている。

今勉強はクソだなって思ってる人も、勉強は暗記力だけではないという事を体験しておいてほしい。


ポケモン150匹言えるのも、ドラクエの呪文が全部言えるのも、「楽しい」からで、強制された勉強を楽しいと思える訳がない。そんな勉強をクソだと思うほうが正常である。たいてい大人も同意見だし。
なんでもいいから、その道のプロに出会って話を聞くのも良いと思う。数学でも考古学でもプログラミングでも、その分野を楽しくて仕方ないと考える人に、教わる事は沢山ある。

今、卒論でお世話になっている教授も「そもそも君はなぜこれを調べたいと思ったのか」を重要視している。
受験勉強も、「なんでwillは未来形じゃないの?」「壁にも天井にもonなのはなんで?」などの疑問を持つことが本来なら重要なのだと思う。
「なんで桜じゃなくて梅なのですか?」と質問するCMもあったが、疑問を持つことはいいことである。受験では「そんな事よりいいから覚えなさい」と言われるが、十中八九先生もなぜだか分からないだけだ。

 

反省点としては振り返ってみると、本当に勉強して食って寝ての繰り返しだったので、今思えば息抜きすれば良かったなという後悔が残っている。
当時の最高の贅沢は「時間を使う」ことだった。そんな事より勉強だ!と、食に走って一時期太ったので、受験生はたまには時間を使って遊んでくるとよい。息抜きしても死ぬ訳ではないです。

大学は、自分の行動自体でオアシスにもなるし地獄(笑)にもなる。(強制された)勉強嫌いはみんな一緒です。だから大丈夫。

今日は4年前を思い出しつつ、寝るとします。

息抜きってむずかしい

久しぶりに書きます。こんにちは。

ITパスポートの勉強と卒論に追われていました…無事にITパスは合格したので、あとは論文に集中するのみです。

近況報告としては、ここ一週間でPCを新しくしました。ぱんぱかぱーん。

はてなブログって重いなあ…記事もすぐ落ちるし…って悩んで、毎回Wordから貼り付けていた(めんどい)のがバカみたいにさくさくです。動きがもっさりなのはサイトのせいだと思っていました、すみません。やっぱりスペックのせいでしたね。。

 

さて。

タイトルにもありますが、私は息抜きするのがど下手です。

過去に「自分にお金を使うのが苦手」といったことも書きました。↓

 

sunagimomo.hatenablog.com

新しいバイトを頑張りつつ試験勉強をしているうちに、まるで大学受験のころのように禁欲的な生活になり、バイト・勉強・家事しかマジでやらなくなっていました。

彼氏に「お前は自分を追い込む癖があるから、なにか余暇を見つけたほうがいい」と言われるものの「そんな暇があったら勉強しないと!!落ちたらめっちゃ後悔する!!

」とかなんとか言って結局体が悲鳴を上げる、みたいな生活です。

 

なんでこんな自分をぎりぎりまで追い詰める癖がついたんだろうと振り返ると、

・小学生のころ、テストで100点を取らなければ認めてもらえなかった(取ったとしても「小学校のテストで100点なんて当たり前だ」と言われる)

・親が偏差値ばかり気にするので、高校受験は勉強漬けだった

・中学の部活は運動部にしなさいという母親からの命令があった(結局心身ともに悲鳴をあげる)

とにかく「過程」より「結果を出しなさい」みたいな家庭だったからかなあ、という結論に至りました。

結果を出さなければ、家から追い出される。最悪死ぬしかない。と思って、生きてきた節があります。そのツケが、「自分に厳しくしないと生きてはいけないんだ」という発想に繋がったわけです。

 

昔から、理不尽に怒られるとよく「自分はここにいないんだ」という幽体離脱に近い気分になる現象がありました。そういう時には目の焦点をわざとずらしてゆらゆら彷徨うのが好きでした。中二病感がすごいですが幼少からの話です。(それが原因なのかひどい斜視です)

「自分はどこにいるんだろう」「わたしの人生は親のものなのだろうか」「なぜわたしはここにいるのか」みたいなことをしょっちゅう考えていたため、客観的に自分や他人を見るのが得意になり、今もこうして自己分析の日々です。

「そんなつらい過去は忘れてしまいなよ」と言われることも多いですが、わたしはむしろ勲章のように思っていて、つらい記憶は生きた証です。同じように家庭環境で悩んできた友人たちと話したりして、どこかで「私だけじゃないんだ」と思ってくれればと考えています。

なので、こうして今も文章を書いてます。(こういう話とはまた別の話も多いですけどね!)

 

自分にお金を使ったり、時間を使ったり、そういうのはあまり生産性のあることではないし、そんなに自分を甘やかして罪悪感が増すだけ。そんな気持ちが今もありますが、そうやって無理をして体を壊したときのほうがかえって人に迷惑をかけるし、なるべく上機嫌でにこにこしてるほうが周りにとっても精神的に良い。

…と、わかっちゃいるけど…無理をしてしまう。

これはもはや自傷行為だなと、最近思ったんです。

目に見える傷ではないけど、自己犠牲という面では変わりありません。

 

無理な案件もすべて引き受けて全部だめにしてしまう人と、無理なものは断って、いいものを仕上げる人なら、後者のほうが仕事が舞い込んでくるに違いありません。

自分の価値を、自分で下げないように。無理な仕事を断れるように。今日から心がけよう。

 

 

 

 

大学生でやっておいて良かったこと10個

大学生も残りあと半年。マジかよ。めっちゃくちゃ早い。去年入学式行ったのに?って感じ。

大学受験は第一志望、第二志望、第三志望…と落ちまくってまあ悲惨だったので、どうなることかと思ったけど、

3月入試滑り込みセーフで入った学校でどうにかこうにか楽しく暮らすことが出来て本当にラッキーだったなあ。

人生って何があるんだか分かりませんね。偏差値なんて関係無いです。大学で偏差値の計算式を勉強すればよく分かります。

 

もちろん、アレやれば良かったなーという後悔、反省点も多々ありますが、

よくある「やっておけば良かったことリスト」を作ろうとすると気持ちが下がるので

今回は「これやっておいて良かったなー!」というものを挙げてみて自分のテンションを上げる回にしようと思います。

 

⑴1年生の初めは、何かしらの部活、サークルを当たってみる

→ぶっちゃけ今後4年間無理に続けなくてもいいし絞れないなら複数でも良いから、入学当初から人との接点を作ることが大事。

私は文化部系の部活に入ったが、やるからにはガチで大会目指したかったのに、のほほんと楽ばっかしてたので「サークルでも無いのにこれで4年間終わるなんて茶番かよ(^-^)」と3ヶ月で去った。当時の自分を褒めたい。

 

⑵入学初めのデビューにつまずいても、2年生からまた何かしらの団体に所属してみる

→「自分の所属する場所を変えるだけで、こんなにも違う人が居るのか」という事が知れた。

 

 ⑶楽単だけでなく難しい授業を取ってみる。学部の名物先生の講義はマスト。

→「自分のやってきた学問はこれです」と言えるようになるには、それなりの下積みが必要。あんまり就活のためにどうこう言いたくないが、就活でも何を学んだかは必ず聞かれる。

てか大学生の本分は学問なので文系理系関係ないはずなのに理系大変そうすぎる…文系も頑張んなきゃだよね…(私は文系なので特に思う)

 

⑷「今は無理だけど頑張れば取れそう」レベルの資格(or部活やってたらその競技)にチャレンジ

→到底無理なレベルよりワンランク下のものを目指し、成功体験を積む。たとえ受からなかったとしても目標を目指す過程が学べる。

 

 ⑸恋愛する(3次元)

運ゲーな面もあるかもしれないけど明らかに人生の勉強になる。自分を見つめ直すきっかけにもなる。ただし倫理観をきちんと持ち相手は選ぶこと。自分の身体は自分で守ろう。(知人がヒモ男に貢いでいたのを見るとね…)

 

⑹時間を持て余す

→その時間にやっていた事こそが今後の人生を支えてくれる趣味になったりするんだと思う。

忙しく動き回ってるリア充を見て焦る気持ちも分かるが、気になって真似してみたら体力が無くてクソ疲れたのでオススメしない。時間の使い方を学ぶ意味でも挙げとく。

 

⑺接客のアルバイトをする

クレーマーもいれば、神様みたいなお客様もいる。世の中には色んな人が居るんだなあ、と言う事が肌で分かる。コンビニやファミレス店員など接客業の人に同志の心が芽生え「ありがとう」と心から言える。

また、自分はBtoB向きなのか、BtoC向けなのかが分かる良い材料になる。客商売をやりたいか、そうでないかで就活もだいぶ的を絞って行う事ができる。

 

⑻年下、年上と話せるようになっておく

→指導から、たわいもない会話まで出来るようにしておく。おばさんの愚痴話、おじさんの自慢話に上手く乗って上手くかわせる術を習得する。

年の離れた人が多いスーパーのレジなどのバイト先を選んでも良いけど、小姑さながらに虐められる話もよく聞くので、まずは学校関係で探しても良い。

 

⑼たくさんの人と話し、自分のストレスがない人間関係はどの深さ、どのタイプなのか知っておく

→浅くて広い人間関係を築けるのが大学の良くも悪くも特徴のひとつ。それが気楽で合う人もいればそうでない人も居るので、今後の自分のものさしを作る意味で挙げる。

 

⑽大学の図書館は使い倒す

 →本離れとか置いといて、まず当然ながら学費から維持費を払ってるので本を読んでいなかったらかなり損してるため。

「100冊読む!」とか量で攻める人も居れば、この一冊をじっくり読む、というペースが合う人もいる。

本の読み方と人間関係の作り方は通じているもので、コレはひとつ上の項目と同じ結果になるかと思う。

 

 

もちろん後悔もあるけど私の身体はひとつしかないので、来世の私に託す事にして、あとは無事卒業できるように卒論書くのみです。…卒論…終わるのかな…

 

私的「意識高い系」以外に捧ぐ就活のしおり

10月に入り、最初は皆が「就活と被るので…」との理由で閑散としていた卒論ゼミにも人が集まってきて、ようやく活気を取り戻しつつある、今日この頃です。

意識高い系の人はバリバリの不動産系営業マンになっていたり、公務員の試験に落ちてこれから就活だという人も居たり、人それぞれ。

 

たいていの大学にはキャリア教育があって、私の学校にも自己分析、業界研究、履歴書添削、マナー講座などたくさんのセミナーが存在するんです。

単位認定される授業になっているものも多いので、「こういう機会に色々覗いてみるか」と5つくらい授業を取って、無料講座に通ってみた。で、就活を5月に終えて今振り返って思うのが

「あれ、実際の就活は大学に言われてたこととだいぶ違うな?」という事と

「説明会の時点で怪しい会社や大人、不思議な就活生がたくさん居る」という事で

結局は自分の思う常識、倫理観、価値観、等を総動員して「ここだ!!」ってところを見つけるしかないんだなあと分かった。

「内定承諾書を書くまでは、就活生が会社を選ぶ側」ということを念頭に置いておかないとと変なところに入りかねないなとも…。(法律上はもう少し先だけど囲い込みで書かせるところもありますね…)

 

と言う事で、私的「意識高い系」以外に捧ぐ就活のしおりをまとめてみる。

 

・OB,OG訪問、実はみんな行ってない(当社比)ので焦らなくていい

(マスコミ、大企業除く。コネが必要不可欠な場合があるため)

→大学データベース的には去年卒業分から連絡先を引っ張ることが多い。入社1年目のよく知らない大学の後輩に急に会ってくれというのもきつい話。また、「OB,OG訪問の際は採用担当者にも要連絡」とする企業もある。てか普通は話が行く。ならインターンの方が、いつもの会社を知れるチャンスだと思う。OB,OG訪問と説明会はオープンキャンパスインターンは体験入学。

・ただし、入社試験の勉強はしておくこと。面倒でも一度過去問を通しでやる。

・合同説明会は午後から行く

→空いているので話が出来る。はじめは気の張っている担当者もぽろっと素を出してくれる。ただし、行くところを予め決めておかないとタイムアップになる。

合同説明会のしつこい勧誘は地雷

→会場のあちこちを回ってる会社は個人的に良い印象では無かった。自分のブース周辺のみなら普通。会社名を控えておいて後で調べるとやばいところだったりする。

マ○○ビなどの会場だと、ブース参加する際には、「参加しました」とアプリ内から意思表示して担当者に見せる必要がある。それだけで個人情報は会社のモノ。メールの嵐である。(ひどい話だ)チラシだけもらって撤退すべし。

・合同説明会に居るやばい学生は反面教師にする

→カップルできゃっきゃ説明会を回る、ブランドものロゴどどーん!のカバンで来る、ライトグレーのストライプミニスカートスーツ、普段着のふわもこダッフルコート着ちゃう系(トレンチコートか地味なストールを用意)、友達と一緒に回って私語ばかり、キャリーケースで行動(ロッカーに預けよう…通路が狭いので)、など。

・やばい大人も反面教師にする

挨拶を返さない、目を合わせない、資料を切らしている、質問をごまかす、など。

・他己分析など、人に何かをお願いするならまず自分なりに考えた後で。人任せにはしない

同じ就活生として、謙虚な気持ちはあったほうがスムーズ。あと、関係が薄い人にも他己分析をやたらめったらお願いするのではなく、信頼できる人にお願いする。当たり障り無い結果になるのは目に見えていること。意見に数は求めない。

・大学のスケジュールは死守する。

→「授業と被るのでこの日は外してください」と言って通じない相手はどうなの…?

就活のために公欠を駆使するのも悪くないが、単位を落としたら元も子もない。

・「やりたいこと」が無い人ほど「やりたくないこと」を列挙する

→炎天下の力仕事だけは勘弁って思ってた。どんな会社がブラック、ホワイトと感じるかは人それぞれ。

・質問は2、3個用意して必ず話しかける

→こんなに多くの大人と話せる機会なんてそうそうない。説明会の質疑応答で手を挙げる人は全然居ないので、覚えてもらえるチャンス。

・就活の相談相手は複数用意する

セカンドオピニオンと思って、大学のキャリアセンター、就活支援サイトの無料相談(口コミ・評判を見て怪しいところでない所)など複数の人に話を聞くといい。

説明会、面接でのメモは忘れないうちにまとめ、その時の印象を含め日記帳のようにして取っておく。担当者の名前、特徴もメモしておくとよい。

化粧は就活用写真を撮影する際に写真屋さんに教えてもらうとよい。男子は美容院で眉カット。

 

ちなみに私は急に知らない携帯番号から「あなたのプロフィールを拝見しました。是非お会いしたいです」とSMSが来て、

調べたらこの2年で一気に100人多く新卒採用しては3年以内にみんな辞めていくやばい会社だったという事がありました。そもそも個人の携帯から来るという時点で色々お察し。出会い厨かよ!!!!

……いろいろ勉強になる経験でした。